バッファローとパコ・ラバンヌ

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

バッファローは、水牛のことですよね。でも、人の名前にもあって。バッファロー・ビル。
アメリカ西部開拓時代の英雄。本名は、ウイリアム・フレデリック・コディ。では、どうしてウイリアム・フレデリック・コディが、「バッファロー・ビル」と呼ばれるようになったのか。
これは1876年にはじまった「サザン・パシフィック鉄道」の建設と関係があるんですね。数多くの労働者の食料をどうするのか。この時、その調達をしたのが、ビル・コディ。ビル・コディは数年間で、4、280頭の水牛を仕留めたという。それでついた仇名が、「バッファロー・ビル」。1870年代のアメリカではまだ、モッツァレラ・チーズは一般的ではなかったものと思われます。
イタリアのカンパーニア州やラツイオ州では、モッツァレラ・チーズが多く造られています。真っ白い、ふわふわのチーズ。そのままでもサラダのように食べることもあります。また、トマトやルッコラと実によく合うんですね。
アメリカで、モッツァレラ・チーズがよく知られるようになったのは、二十世紀のはじめなんだという。もちろん、イタリアからの移民が少なくなかったからです。
モッツァレラはよく見かける大きさのものを、「ボッコンチーノ」と呼びます。もっと小さいのが、「オヴォリーネ」。卵大というわけ。さらに小さいmは、「チリエージ」。チェリーくらいの大きさと表現するわけです。
ところで、バッファロー・ビルが出てくるミステリに、『死のドリーム・ボート』があります。1995年に、ダク・J・スワンソンが発表した物語。

「黒いアイパッチに、バッファロー・ビル・スタイルの銀髪。」

これは「カクタス」と呼ばれる男の様子。また、『死のドリーム・ボート』には、こんな描写も出てきます。

「ひげを剃り、匂いから察するに、パコ・ラヴァンヌのオーデコロンをたっぷりつけている。午前四時三十五分だというのに。」

これは、ロイス・スラップという男。フランネルのシャツに、コオデュロイのパンツを穿いて。
パコ・ラバンヌ P ac o R ab ann e は、1934年に。スペインのバスクに生まれています。パコのお母さんは、1920年代に、クリストバル・バレンシアガのアトリエで働いていたという。
パコ自身は、1965年にはじめてのコレクションを発表しています。徹底的に前衛モオドを追求したデザートでもあります。
パコ・ラバンヌのオオ・ド・コローニュで。モッツァレラを食べに行くとしましょうか。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone