シャンゼリゼとシルク

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シャンゼリゼは、パリ中心の、大通りのことですね。1874年1月25日。巴里、シャンゼリゼの近くで生まれたのが、サマセット・モオム。モオムの子どもの時の遊び場は、シャンゼリゼだったという。
シャンゼリゼは道幅が広い。『オー・シャンゼリゼ』という歌がありますが、通りの端から端まで渡りきるのに、歌い終わるかどうか。そんなふうにも言いたくなってくるほどです。
シャンゼリゼにあるカフェが、「フーケ」。ちょうど「J・M・ウエストン」の、斜め前。「J・M・ウエストン」で靴を買って、「フーケ」で珈琲を一杯。優雅な時間であります。
パリには「名カフェ」が、多い。たとえば、「カフェ・ド・ラ・ロトンド」だとか。
「カフェ・ド・ラ・ロトンド」は、1911年の開店。ちょうどモディリアー二が巴里にやってきてあたり。もっとも正しくは、1906年にモディはイタリアからやって来たのですが。
「カフェ・ド・ラ・ロトンド」の主人は、ムッシュ・リビオン。リビオンはモディリアー二から珈琲代は取らなかった。モディは珈琲代をスケッチで払った。一時期、リビオンはモディのスケッチをたくさん持ったいたそうですね。
モディリアー二は酒に酔いつぶれることもあって。そんな時、リビオンは店に泊めてあげた。
朝がくると、リビオンは珈琲を淹れて、ブリオッシュを添えて、モディリアー二に運んだという。
えーと、シャンゼリゼの話でしたね。シャンゼリゼが出てくるミステリに、『テロリストに薔薇を』があります。1982年に、ジャック・ヒギンズが発表した物語。

「シャンゼリゼのカフェの表のテイブルについて、パリの衣裳をまとったきみを前においてペルノーを飲みたい」。

これはIRA の闘士、マーティン・ブロスナンが、女性戦場写真家の、アン=マリイ・オーディンに対しての、科白なんですね。しかも絶体絶命の戦場での会話として。
また、『テロリストに薔薇を』には、こんな描写も。

「おれがその時に着ていたカシミヤと絹のジャケットは、前の年にロンドンに行った時にサヴィル・ロゥで八百ドル払ったものだった。」

たぶん、シルクとカシミアの交織地なのでしょう。
私もシルクとカシミアの生地を着たなら、そんな粋な言葉が出てくるのでしょうか。

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