シェエラザードとシングル

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シェエラザードは、千夜一夜物語ですよね。千夜一夜物語は、アラビアン・ナイトであります。アラビアン・ナイトは、だいたい八世紀ころの物語だと考えられているようですが。
昔むかし、あるところに、シャハリヤールという王様がいらっしゃって。この王様、なにがあったのか、女性不信。女が憎くて憎くて。
シャハリヤール王は、若くて、美しい女を娶っては、あやめる。娶っては、亡き者に。毎日のように娶っては、亡き者に。
これではいけませんというので、シェエラザードが、あえてお妃に。シェエラザードはお利口なお妃で。シャハリヤール王に、夜話を。で、話がいちばん面白くなったところで、「続きは、明日」。それで王様は妃を殺すに殺せない。
この「続きは、明日」が、千と一夜続いたので、『千夜一夜物語』。千と一夜が明けた時。さすがのシャハリヤール王の憎しみも、雪のように消えていたんだそうですね。
『アラビアン・ナイト』はあまりに有名なので、多くの藝術家が、想を得ています。たとえば、リムスキー・コルサコフも。1888年に、交響曲『シェエラザード』を作曲しています。
リムスキー・コルサコフの『シェエラザード』もまた、すくなからぬ人に影響を与えていて。1909年には、バレエとなっています。ディアギレフの「バレエ・リュッス」によって。
1909年。バレエの『シェエラザード』は、1909年に初演。これは当時の巴里での話題のひとつであったらしい。
1910年6月4日には、巴里の「オペラ座」での初演。この日、『シェエラザード』を観に行ったのが、プルースト。かのマルセル・プルースト。衣裳担当は、バクストであったと、伝えられています。バクストの舞台衣裳は、歴史に遺る美事さであった、と。
マルセル・プルーストはいつかもしましたので、ここではマルセルのお父さんのことを。マルセル・プルーストのお父さんは、アドリアン・プルースト。立派な医学者でありました。そのアドリアン・プルーストが、1880年代に写されて写真が今に遺っています。
アドリアンはごく初期のラウンジ・スーツを着ています。シングル前の四つボタンで、ごく高い位置の第一ボタンだけを留めた着こなし。
十九世紀末から二十世紀はじめにかけては、この着こなしこそが、一般だったのです。
アドリアン・プルーストも当時の常識に従ってまでのこと。そもそもラウンジ・ジャケットは、五個ボタンからはじまっています。五個が四個になり、四個が三個になって現在に至っているのです。
シングル前の場合、二個ボタンよりも三個ボタンのほうが固定的であることは間違いありません。

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