伊之助とインナーソール

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

伊之助は、男の子名前ですよね。たとえば相撲のほうでは、式守伊之助がいます。式守庄之助と並んで、名門の行司役であります。これを、「立行司」と呼ぶんだそうです。
式守伊之助は、明和四年に記録があるとのことですから、古い。明和四年は、1767年のことですから。寛政五年には引退して、二代目伊之助にゆずっています。初代伊之助は引退後、『相撲隠雲解』の著者を出しているとのこと。
今現在の式守伊之助は、初代から数えて、四十一代目になるんだとか。立行司の装束は、江戸時代からの、伝統衣装ということになっています。第一、烏帽子がそうですよね。狩衣もそうです。手にする軍配も、天保時代のものを使っているんだとか。
相撲には行司もいれば、横綱もいるわけで。ただし、横綱の由来はよく分かってはいません。つまり、それほどに古い話なのです。ただ、伝説としては。平安朝に遡るとか。
平安朝、近江の国に、「薑」(はじかみ) という力士がいて。もう強いのなんの。他の力士とではとても勝負にならない。
それで、その時代の行司、「志賀清林」が、神社の注連縄を腰に巻かせて。薑の注連縄に手の届いた者を勝ちとする、と。それでも誰ひとり、薑の注連縄には手が届く前に、負けた。これが、「横綱」のはじまりだ、と。
伊之助で思い出すものに、漂流民の「伊之助」がいます。伊豫の「伊之助」。江戸の船頭ですから苗字はありません。伊豫の伊之助。
天保十二年の八月。「永住丸」で、兵庫から船出。善助が頭で、十三人の乗組員。この中のひとりに、「初太郎」も。
ところが「永住丸」は大嵐にあって難破、漂流。流れ流れて、アメリカへ。長い漂流生活から帰還した初太郎が語ったのが、『亞墨新話』。この中に。

「男子の沓、牛の皮の油抜きを用ゆ。底は鹿羊皮のを用ゆ。」

「沓」は、今の靴でしょう。「油抜き」は鞣しのことかと。でも、「底は鹿羊皮」は私には、理解の外。
もし「鹿羊皮」羚羊とするなら、インソールには向いているのか、と。羚羊の毛皮のインソールがあったなら、暖かいでしょうね。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone