O嬢とは、なにか想像を逞しくさせてしまう名前ですよね。O嬢で、誰もがすぐに想起するのは、『O嬢の物語』でしょうか。時には、『オー嬢の物語』として、訳されることもあるようですが。
『O嬢の物語』は、1954年にフランスで刊行された問題小説。著者は、ポーリーヌ・レアージュ。ただし、ポーリーヌ・レアージュは、筆名。ほんとうに誰が書いたのかは、よく分かっていないのです。が、1955年の「ドゥ・マゴ賞」を受けています。また、映画化もされています。
今では、ドミニック・オオリイが著者だろうと、考えられているのですが。それ以前には、『O嬢の物語』の序文を書いた、ジャン・ポオランこそが、著者その人だとされたことも。
『O嬢の物語』は、こんなふうにはじまります。
「彼女はふだんのままの服装をしていた。ハイヒールの靴、襞のあるスカートのスーツ、絹のブラウス、帽子はかぶっていない。」
むろん澁澤龍彦訳。なんですが。一説に、矢川澄子が『O嬢の物語』の下訳をした、ともいわれています。たしかに『O嬢の物語』は内容において問題作なのですが。その執筆、翻訳についても、謎めいているのですね。
戦後、間も無くの頃。澁澤龍彦は、吉行淳之助の下で働いたことがあるらしい。その頃、吉行淳之助はある出版社の編集者で。その時、アルバイトの青年として入ってきたのが、若き日の澁澤龍彦だったそうです。まさに、「縁は異なもの」というべきでしょうか。
吉行淳之助の随筆に、『銀座の露店』があります。1970年『銀座百店』一月号に、発表。
「オストリッチのベルトというのは、イボイボが沢山あるほうが上等なのだといわれたが…………………。」
吉行淳之助が、「銀座の露店」でオオストリッチのベルトを買う話。吉行淳之助は、「オストリッチ」と書いているのですが。それで、結局、吉行淳之助はなるべく「イボイボ」の少ないベルトを手に入れたと、書いています。
まあ、これも吉行淳之助なりの美学なのでしょうね。