パリは、巴里のことですよね。パリは、フランスの都。英語なら、P ar is であります。
そういえば、『アイ・ラヴ・パリス』という歌がありました。
🎶 アイ・ラヴ・パリス・イン・ザ・スプリング・タイム………………。
と、はじまって。結局、どの季節のパリスも好き、という歌なんですが。
明治四十四年に巴里を旅したお方に、寺田寅彦がいます。寺田寅彦は、物理学者で、夏目漱石の弟子でもあった人物。
寺田寅彦はどうして、明治四十四年に巴里を訪れたのか。ドイツから日本に帰る途中、巴里に寄ったからなんですね。
「マドンナのすぐわきにジャンダークの石膏像がある。この像の仕上げのために喜捨を募るという張り札がしてある。」
明治四十四年の『先生への通信』と題する随筆に、そのように出ています。ここでの「先生」が、漱石であるのはいうまでもありません。最初は夏目漱石宛の書簡だったのでしょう。
今もパリには、「ジャンヌ・ダルク像」が燦然と輝いています。明治四十四年にはまだ、完成途中だったnのですね。
また、『先生への通信』には、こんな話も出ています。
「案内者が萌黄色の背広を着た英国人らしいのに説明していました。萌黄の背広に萌黄の柔らかい帽子を着たこういう男にたいていな場所で出くわすのは不思議なくらいです。」
これは、寺田寅彦が、巴里の「ユーゴー博物館」へ行った折の様子。
イギリス人観光客が萌黄色のスーツを着ていたのでしょう。帽子の色も揃えて。
萌黄色は、パロット・グリーンに近い色です。パロットは「オーム」のことで、オームの羽根の色に似ているので、その名前があります。
パロット・グリーンであろうとなかろうと。スーツと同じ色のソフト・ハットという手もあるんですね。
スーツに合わせた色のソフトで、パリに行きたいものですね。