倫敦とロング・ジョン

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倫敦は、いつも憧れの街ですよね。昔むかし、サミュエル・ジョンソンは言ったそうです。

「倫敦に飽きたということは、人生に飽きたということだ。」

サミュエル・ジョンソン自身は、1709年にイングランド中部の町、リッチフィールドに生まれています。つまりロンドンっ子ではなかったわけですから、これは信用してよいのかも知れませんね。
サミュエル・ジョンソンが、はじめて本格的な『英語辞書』を編んだ人物であるのは、言うまでもないでしょう。好意的な助手はいましたが、ほとんどひとりで『英語辞書』を完成させたわけですから、偉大なお方でありました。と同時に、たいへんユニイクな辞書になっているのも事実ですが。
倫敦のほぼ中心に、チアリング・クロスという地名が。では、このチアリング・クロスがなぜその名前で呼ばれることになったのか。

「チヤーリング村にもそれが一つ出来たので、その十字架のある所をチヤーリング・クロッスと呼んだ。」

明治四十五年刊行の、『倫敦! 倫敦? 』にそのように書いてあります。著者は、長谷川如是閑。
長谷川如是閑は、明治四十三年三月、「朝日新聞」から派遣されて、倫敦に向っています。その折の紀行文を一冊に纏めたのが、『倫敦! 倫敦? 』なのですね。
エドワード一世の時代、王妃がお隠れになった。そこで葬いのために、葬列が村々を廻った。で、その要所要所に、十字架を立てた。もちろん、チアリング村にも。そこで以降は、「チアリング・クロス」の名前で呼ばれるようになったんだそうです。
まあ、こんなちょっとしたことでも、誰かが書いておいてくれないことには、分からなくなってしまいますからね。
倫敦が出てくるミステリに、『死の競歩』があります。ピーター・ラヴゼイが、1970年に発表した物語。ただし、時代背景は、1879年に置かれています。

「<イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ> 紙の記者がコニャックを飲む合間にきこえよがしに言った。」

「イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ」は、当時出されていた絵入り新聞。その記者が、競歩の取材に来ているわけです。この時代の競歩は、ウォッブル w obb l e といって、過酷この上もない競技だったのですが。
また、『死の競歩』には、こんな描写も。

「大尉は出身大学のユニフォームと同じ色の絹のズボン下をはき………………………」。

アースカイン・チャドウイック大尉は、ウォッブルの参加者という設定。「絹のズボン下」は、ロング・ジョンのことかと思われます。ロング・ジョンは、「ズボン下」のこと。
いや、いっそ、絹の、ジャージのトラウザーズを穿いてみたいものですね。

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