シャンパンは、発泡白ワインですよね。シャンパンはいつ、どんな時にも飲める酒であります。
仮に、山海の馳走であっても、最初から最後までずっと通して飲めるのは、シャンパンくらいのものでありましょう。しかるべき晩餐にビールばかりウイスキイばかりというのでは、少し具合が悪いのかも知れませんね。
シャンパンの小瓶は、天使の発明なんでしょうか。たとえば冷蔵庫にシャンパンの小瓶が冷えているといたしましょう。
誰しもひとりでいる時、シャンパン一本開けようという気にはならないものです。が、小瓶なら………。というわけで、いつでもどこでもつい手が伸びる。
でも、シャンパンの小瓶は、あとをひく。一本だけの堅いつもりが、二本になり三本になり五本になって。これならはじめから一瓶開けるんだったと、こうなるわけであります。
よく話に出るのが、シャンパンをはじめて飲んだ日本人は誰なのか。
たとえば江戸期以前に、漂流して助けられて、シャンパンを。そんな例もあるでしょう。
そうではなくて、意識して、自ら、日本でシャンパンを飲んだ武士というなら、かなり限られてくるでありましょう。私の意見では、香山栄左衛門ではないかと考えています。
香山栄左衛門。当時、浦賀奉行の与力であった人物。
嘉永六年。ペリー艦隊がやって来た時。とりあえず「浦賀奉行」のふりをしてペリーに会ったお方。日本側の記録には、香山栄左衛門がシャンパンを飲んだ記録は出ていません。が、
『ペリー艦隊 日本遠征記』には、そのことが出ているのですね。
「栄左衛門の気質は生来温和で、遠慮なくシャンパンを飲んだため、ますます愛想良くなった。」
おそらく香山栄左衛門が、「サスケハナ号」船上でシャンパンをきこしめしたこと、間違いないでしょう。いや、そればかりか、ワイン、ウイスキイ、ブランデー、リキュールも。
少なくとも『ペリー艦隊 日本遠征記』には、明確に記されています。
一方、アメリカの軍人たちの観察力も並々ではなく。
「外装は純金で、鮫皮の鞘は実にみごとな細工だった。」
これは香山栄左衛門たちの差していた刀について。日本刀の価値をちゃんと認めています。
ところで。ペリーの服装はどうであったのか。ペリーが浦賀に来航した時は、いうまでもなく、米海軍軍服でありました。
ダブル前十八個ボタン。袖章三本、金モールの肩章付き。たまたま私が見たペリーの写真では、十七個のボタンに見えるのですが。
いちばん下の、左端のボタンを外してあるので。まさかボタンが取れていたわけではないでしょう。ボタン磨き担当の部下がついているのですからね。
ダブル前でも、さすがに十八個もついていますと、やはり磨こうという気になるでしょうね。
どなたか十八個ボタンが美しく映える上着を仕立てて頂けませんでしょうか。