シベリアとジッパー

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シベリアは、ロシアの一部ですよね。「シベリア横断鉄道」は、有名でしょう。
あるいはまた、「シベリアン・ハスキー」だとか。シベリア原産の犬なんだそうです。むかしは北極探検隊などの犬橇などにも活躍したという。マイナス55度くらいの厳しい気温でも橇が曳けるのは、シベリアン・ハスキーくらいなんだとか。
シベリアの冬は、寒い。時と所によっては、マイナス70度なんてこともあるんだそうですね。
「今日はマイナス20度だから、暖かいなあ」。
これが冗談ではないんだそうです。
シベリアはシベリアでも食べるほうの「シベリア」。
今は多く「シベリア」ですが。戦前の日本では、「シベリヤ」と表記することが多かったらしい。

「ミルクホールの硝子器に入っているケーキは、シベリヤと称する、カステラの間に白い羊羹を挿んだ、三角形のもの。(黒い羊羹もあった……………………。」

古川緑波著『ロッパ食談』には、そのように出ています。
古川緑波は、「シベリヤ」と書いているのですが。「ケーキ」と言ってよいのかどうか、
シベリアは今でもあります。私の知る限り、黒い羊羹が多いようですが。
第一、現在、「ミルクホール」は絶滅に近い。ミルクホールの「硝子器」自体が幻ではないでしょうか。
でも、小さなパン屋に行くと、たまに「シベリア」を見かけることがあります。ということは、ケーキというよりもパンの一種に近いのでしょうか。少なくとも今のケーキ屋で「シベリア」を並べているところは少ないように思われます。
もし、「絶滅危惧菓子」と言っても大げさではないでしょうね。そもそも、どうして
「シベリア」なのかもよくは分かってはいません。私は勝手に、「シベリヤ出兵」と、なにか関係があるのでは、と考えているのでですが。
大正七年。日本軍はシベリヤに兵を送って。「チェコ軍を救う」という大義名分を掲げて。
結論から申しますと、この「シベリヤ出兵」も、失敗だったのですが。この時の兵糧のひとつに、後の「シベリヤ」が含まれていたのではないでしょうか。
シベリヤを背景に描かれた小説に、『シベリヤ物語』があります。
昭和二十六年に、長谷川四郎が書いた物語。長谷川四郎は、どうして『シベリヤ物語』を書いたのか。
長谷川四郎は、第二次大戦中、シベリヤで捕虜になっていたから。そのシベリヤでの体験をもとに、小説を書いたのです。
余談ではありますが。長谷川四郎は、長谷川海太郎の弟。長谷川海太郎が、林 不忘の本名であるのは申すまでもありません。
同じように、牧 逸馬も、谷 譲次も、長谷川海太郎の筆名でありました。その長谷川海太郎の弟が、『シベリヤ物語』の著者、長谷川四郎なのです。『シベリヤ物語』の中に。

「それに彼女はジッパーで胸がすぐ大きく開かれるジャンパーを着ていた。」

これは、「ターニャ」という若い、シベリヤの女性。
ターニャには赤ちゃんがいて、ときどきお乳を飲ませてやらなくてはならないので。
それはともかく1940年代のシベリヤには、「ジッパー」が普及していたのでしょうね。

ジッパー z ipp er は貴重なファッション用語です。もし「ジッパー」がないと、「ファッション辞典」の「Z」の項目が淋しくなるではありませんか。
私がはじめて穿いたズボンの前開きは、ボタン式であったものです。中学生でもまだ、
「ボタン・フライ」式でありました。高校生の時にはじめて「ジップ・フライ」を穿いた時、ずいぶんとハイカラだなあと、思った記憶があります。
上等なトラウザーズには、ジッパーもそれなりに「クセ」を取るものなのです。
どなたか美しいトラウザーズを仕立てて頂けませんでしょうか。

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