葉書は、郵便葉書のことですよね。
手紙よりも、気軽にやり取りできる利点があるのではないでしょうか。手紙なら少し改まった感じになるところ、葉書ならかしこばらなくて。
葉書は、明治六年にはじまっているんだそうですね。そもそも郵便制度を考えた前島 密の友達だった、「青江 秀」の提案から生まれているんだとか。
今もある「往復葉書」は、明治十八年に生まれているんだそうですね。もっとも明治のはじめには「ハガキ紙」と呼ぶことが多かったらしい。
正月の四日になりて
あの人の
年に一度の葉書も來にけり
明治四十三年に、石川啄木が詠んだ『悲しき玩具』にも、「葉書」が出てきます。
同じ『悲しき玩具』の中に。
八年前の
今のわが妻の手紙の束
何處に藏ひしかと氣にかかるかな
そんな歌も含まれています。
石川啄木は、明治三十八年、「堀合節子」と結婚。啄木、二十歳の時でありました。
明治四十三年は、啄木、二十五歳。その七月一日に、「長与胃腸病院」へ。夏目漱石が入院していたので、お見舞いに。
同じ年の七月五日には、漱石から『ツルゲーネフ全集』を借りています。これは『二葉亭全集』編集のための参考として。
石川啄木は、明治四十五年四月十三日。永眠。二十七年の生涯でありました。
葉書が出てくる小説に、『M夫人の微笑』があります。昭和二十三年に、小沼 丹が発表した短篇。
「………そのままにしてゐると、彼からハガキが来たので、申越して来た日の夕刻、シャトオの扉を開いた。」
これは友人の「吉田一平」からの葉書。「シャトオ」は酒場の名前。
吉田一平はどんな装いなのか。
「粗い格子縞の服を着て、鳥打帽を被つてゐるところを見ると、あまり医者らしくも見えなかつた。」
「………焦茶の猟帽を目深に冠つた、町人躰の三十歳そこそこの男……………。」
明治二十七年に、尾崎紅葉が発表した『冷熱』に、そのような一節が出てきます。
尾崎紅葉は、「猟帽」と書いて、「ハンチング」のルビをふっているのですが。
要するに昔はかぶっている帽子でおおよその職業が判断できたのでしょう。
どなたか紳士にふさわしいハンチングを作って頂けませんでしょうか。