鼻とバルキー

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鼻は、ノーズですよね。フランス語なら、「ネ」n ez でしょうか。
鼻は匂いを嗅ぐ時に便利であります。
また、眼鏡をかける時にも、便利。鼻眼鏡がありますからね。「パンス・ネ」p inc e n ez 。
英語でも、鼻眼鏡は「パンス・ネ」というようです。

「もしクレオパトラの鼻が低くかったなら、世界の歴史は変っていただろう。」

十七世紀の哲学者、パスカルはそんな言葉を遺しています。
つまり、パスカルの昔から、クレオパトラの昔から、鼻が高いのは美人の印だったのでしょうね。
私たちは、「鼻が高い」と言います。が、英語では「ロング」と形容するんだとか。
昔、わたしの先輩に、Aさんがいまして、美男子。鼻の高いお方でした。かなり親しくなってから、わたしに、
「鼻が見えるんです」
と、言ったことがありました。よく話を聞いてみますと。見たくもないのに自分の鼻が見えて、気になって仕方がない。そんな話だったのです。
なるほど。鼻は高ければ良いということでもない、と。鼻の低くわたしは思ったものであります。

「アインシュタイン、シュヴァイツアー、ショパン、ロマン・ローラン、バッハ、リンカーン、ボードレール、シェークスピア……………。」

向田邦子の随筆集『父の詫び状』に、そんな一節が出てきます。章題は、『鼻筋紳士録』。
ここに挙げられた人たちは、「鼻筋紳士」なんだそうです。
向田邦子はなぜか男の肖像画などを見ると、「鼻」が気になってしまう。そんな内容の随筆になっています。
言うまでもないことですが。私は「向田邦子製随筆」のファンであります。間違いなく「随筆名人」のおひとりでありましょう。
向田邦子の『父の詫び状』には、『ごはん』も収められています。
向田邦子は小学校三年の時に、病に。胸の病。それで、栄養をつけるために、お母さんが鰻を食べに連れて行ってくれる話。
広尾、「日赤病院」の近くに一軒の鰻屋があって。お母さんと邦子さんとで。

「隅のテーブルに向い合って坐ると、母は鰻丼を一人前注文する。」

向田邦子の随筆『ごはん』には、そのように書いています。「今はお腹空いてないから……」
などと言いながら。
たぶん向田邦子に栄養をつけさせたかったのでしょう。この『ごはん』もまた名品であります。
また、『ごはん』の中には、こんな描写も出てくるのです。

「セーラー服の上に、濃いねずみ色と赤の編み込み模様の厚地のバルキー・セーターを重ね着した、やせた目玉の大きい女の子が坐っていて、それが私である。」

これは向田邦子が時に想う小学校三年生の、鰻屋での向田邦子として。
「バルキー」b ulky は、太い糸でゆったりと編んだニット・ウエアのこと。以前は、「バルキー」の言葉、よく口にしたものです。私にとっても懐かしい言葉です。
どなたか手打ちうどんのようなバルキー・スェーターを編んで頂けませんでしょうか。

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