ペル・メルは、ロンドンの地名にもありますよね。今も昔もペル・メルは、クラブの多い地区として知られています。
どうして「ペル・メル」かと申しますと。十七世紀以来、「パロ・ア・マグリオ」の競技場があったから。今のクロッケーに似たスポーツで、これをペル・メルと呼んだのであります。
その昔、ペル・メルの近くにあったコーヒー・ハウスが、「ココア・トゥリー・チョコレート・ハウス」。ロンドンで、今のココアをはじめて飲ませた店とのことです。
十八世紀になると、「トーリー党」の集会所にもなって、当時有名だった店なのです。政治家だけでなく、アディソンなどの文人たちも多く集まった場所でもあります。
『ガリヴァー旅行記』で知られる、ジョナサン・スウィフトがよく顔を出したのも、この「ココア・トゥリー・チョコレート・ハウス」だったと伝えられています。
画家のゲインズバラの自宅も、ペル・メル・ストリート81番地に、長く住んでいたという。その時代のペル・メルは閑静な高級住宅地だったようですね。
ペル・メルが出てくるミステリに、『アラビアンナイトの殺人』があります。1936年に、ディクスン・カーが発表した長篇。
「………私はいそいで、わきを通りすぎ、ペル・メル街を東にむけて突き抜けて行きました。」
これは物語の語り手、ジョン・カザラース警部の様子として。カザラーズ警部は、ロンドン警視庁の警部という設定になっています。
『アラビアンナイトの殺人』の背景は、1930年代のロンドンに置かれいるので。
また、『アラビアンナイトの殺人』には、こんな描写も出てきます。
「………ふつうの宮廷人の場合は真鍮でできていますが、よほど高い階級の貴族とみえて、いくつかのルビーを嵌めこんであるのでした。」
これは、あるペルシャ人の黒革のベルトについての説明として。
「ルビーを嵌めこんだ」ベルト。夢があっていいですね。
西部開拓時代のカウボーイをはじめとして、ベルトに凝るお方も珍しくはありません。
彼らはいろんな道具を腰に吊るしておくので、頑丈なベルトが必要不可欠だったのでしょう。
つまりベルトは働き者の印でもあったものと思われます。
どなたかルビーをあしらったベルトを作って頂けませんでしょうか。