バベルとパッデッド・ショルダー

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バベルは、旧約聖書に出てくる物語ですよね。「バベルの搭」に外なりません。高い高い搭のことです。
ノアの洪水の後、ヤハウィストは、天までも届く搭を建てようとして。でも、あまりに高くし過ぎたたために、結局は崩れてしまった。そんな神話の内容になっています。
人間、希望を持つのは宜しいが、それが傲慢になってはいけないという教えでもあるのでしょう。それがために何千年の間、「バベルの搭」が語り継がれてきたに違いありません。
バベルの搭はいったいどんなふうだったのか。これもまた、永い間、人々の興味を惹き付けてきたものです。
そのなかでの代表と言って良いものに、『バベルの搭』があります。1563年頃に、絵師ピーテル・ブリューゲルが描いた絵画。ざっと460年ほど前の作品ということになるでしょうか。
ブリューゲルの『バベルの搭』には、まるで細密画でもあるかのように克明に描かれています。バベルの搭は目下建築中で、働いている人々の姿も描かれています。
なぜ、ブリューゲルは『バベルの搭』を描いたのか。それも少なくとも三枚の『バベルの搭』が描かれているのです。
ひとつには、多くの人たちが、バベルの搭に関心を持っていたから。それはとりもなおさず人間の心には、時として傲慢になる性質を反省するためでもあったでしょう。
「バベルの搭」。それは謙虚であるための反語でもあるのです。

バベルの搭が出てくる小説に、『リトル・ドリット』があります。1855年に、ディケンズが発表した物語。

「………かつてバベルの搭を建てたすべての諸国民の子孫末裔が、マルセイユにやって来ては、一様に蔭を求めていた………」
ここから物語がはじまるのですが。
また、『リトル・ドリット』には、こんな描写も出てきます。

「………怒り肩の黒い上着とチョッキに茶色の半ズボン、長い茶色のゲートルという服装だ。」

これはある老人の着こなしとして。「怒り肩」。もっと別の表現をするなら、「パッデッド・ショルダー」でしょうか。
肩線は、上着の出発点です。肩からはじまって全体のシルエットが生まれるのであります。その意味で、量の大小はさておき、たいていの上着は、「パッデッド・ショルダー」なのです。また、そのパッデッド・ショルダーがごく自然に見えるほど美しいのです。
どなたか自然に想えるパッデッド・ショルダーの上着を仕立てて頂けませんでしょうか。

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