マダガスカルとマンシェッテン・クノップフ

マダガスカルは、国の名前ですよね。マダガスカル共和国。
マダガスカル島全体が、マダガスカル共和国なんですから、分かりやすい。
マダガスカル島の広さ、ざっと日本の一、六倍。人口は、1、887万人と公表されています。
マダガスカルの首都は、マンタナナリヴ。フランス訓みなら、「タナナリヴ」。
それというのもマダガスカルの公用語は、フランス語。
通貨も、マダガスカル・フランなのですから。
町中を歩くと、ごくふつうにバゲットが売られている国なんですね。
物価はおよそ日本の十分の一くらいなんだとか。
昭和四十八年にマダガスカルを訪れた作家に、豊田 穣がいます。
豊田 穣に『マダガスカルの月明』があるのは、そのためなんですね。

「タナナリブでも魚は豊富であった。鯛や蛸の刺身があり、エビの天ぷらが出た。東京の寿司屋から板前を一人連れて来たとのことで、調理は江戸前であった。」

豊田 穣は日本大使館での夕食について、そのように書いてあります。
余談ではありますが、マダガスカルの主食は、米。平均して日本人の倍以上の米を食べているんだとか。
ところで、豊田 穣はこの時なぜ、マダガスカルへ行ったのか。
昔の面影を求めるために。
第二次大戦中の豊田 穣は海軍兵士として、マダガスカル島に待機していたので。
昭和十七年五月に。
その意味では三十一年ぶりの再訪でもあったのでしょう。
マダガスカルが出てくる長篇に、『岸辺なき流れ』があります。
1945年頃、ドイツの作家、ハンス・ヘニー・ヤーンが書いた物語。

「調度品は簡素というよりも少々お粗末だった。マダガスカルかガイアナのジャングルで育った堅牢な木材が使われていた。」

これは船室内の様子として。
また、「岸辺なき流れ』には、こんな描写も出てきます。

「それからワイシャツの片方の袖口から、銀の台に嵌った二個の淡い色の月長石のカフス・ボタンを外し、」

これは「わたし」が、少女に贈ろうとして、カフ・リンクスを外している場面。
ここでの「月長石」は、ムーンストンのこと。
また「カフス・ボタン」はドイツ語で、「マンシェッテン・クノップフ」manschetten knopf となります。
どなたかムーンストンのマンシェッテン・クノプフを作って頂けませんでしょうか。