ドストエフスキーとトリコ

ドストエフスキーは、ロシアの文豪ですよね。
『罪と罰』はお読みになったことがおありでしょう。
『罪と罰』は1866年に発表された長篇。
ドストエフスキーは1821年11月11日に生まれています。
フィヨードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキーとして。
フランスの詩人で申し上ますと、ボオドレエルがやはり
1821年の生まれ。
フランスの作家、フロベエルもまた、1821年の誕生。
1821年は作家の当たり年なのでしょうか。

「ドストエフスキイはいわゆるブルジョワ中産階級から出た、ロシアでは最初の新しい作家だと言えるのである。」

小林秀雄は『ドストエフスキイの生活』の中で、そのように書いています。
ドストエフスキーの小説に『賭博者』があるのは、ご存じでしょう。1866年、ドストエフスキー、四十五歳の時の作品。
『賭博者』はドストエフスキーの後述筆記によって、完成。
速記を担当したのは、アンナ・グリゴーリエヴナ。当時、二十一歳の女性でありました。
これは速記学者、オリヒン先生の紹介だったという。
条件は五十ルーブルだったそうですが。
1866年10月4日、午前11時30分。アンナははじめてドストエフスキーの自宅を訪ねています。
その時、ドストエフスキーは何着ていたのか。

「かなり着古した青いラシャの上着を着ていたが、シャツは雪のように白かった。」

アンナは、『回想のドストエフスキー』の中に、そのように書いています。
アンナは後にドストエフスキーと結婚して、妻となった女性なのですが。
ドストエフスキーに関心を持っていた作家の一人に、カフカがいます。

「今ドストエフスキーの本で非常に僕の『不安であること』を思いさせる箇所を読んだ。」

カフカは1913年12月14日の『日記』に、そのように書いています。
カフカが1924年に書いた小説に『断食芸人』がありますね。この中に。

「黒いトリコットのタイツをはいた断食芸人は、床にまき散らした藁の上にすわっていた。」

トリコットは、メリヤスのこと。
ドイツ語なら、「トリコ」torikot でしょうか。
どなたか絹のトリコでタイツを編んで頂けませんでしょうか。