無色透明美
シックとは粋の粋である。洗練の洗練、美の美である。
シックはエレガントにも似ているが、エレガントそのものではない。もしエレガントを「名人」に喩えるなら、シックは「仙人」でもあろうか。
シック chic は英語でもあり、フランス語でもある。いや、フランスの「シック」がそのままイギリスに伝えられて、英語にもなったのだ。ということはフランスの「シック」は英語化できなかったわけである。それはちょうど英語の「ダンディ」がフランス語に翻訳不可能だったのに似ている。
フランス語での「シック」は、十九世紀のはじめから使われているとのこと。これが英国に輸入されるのは、十九世紀なか頃のこと。『ラルース語源辞典』によれば、フランスでの「シック」は、1803年頃から使われているという。そしてシックは古いドイツ語の「シック」 schickから来ているらしい。そして今なおドイツ語の「シック」にも「洗練」の意味があるのだが。
「シックは華奢で、粹で洗練されしかも時代精神に確乎たる理解を持ち流行の尖端を行くと云つた意味である。」
英文大阪毎日篇『萬國新語大辭典』 ( 昭和十年刊 ) では、そのように解説されている。「シック」を取り上げた辞典としては、かなりはやい例かと思われる。
しかし「華奢で、粹で、洗練で、時代の尖端……」と説明されても、それがシックの本体であるのかどうか心許ない。シックとは本当のところ何であるのか。
シックは秘密の箱に入っている。それを開けても、箱。箱、箱、箱……。なぜかそのような気がしてならない。
「フランス語で、いかにも垢抜けた様子を『シック』chic という。非常によく使われる語であるが、フランス語らしくない音の語である。( 中略 ) この語はドイツ語で『秘儀』とか『作法』という意味の『Schick』がフランス語になったのではないかという説が有力である。」
坂部甲次郎著『おしゃれ語源抄』( 昭和三十八年刊 ) には、そのように書かれている。シックの源には「秘儀」の意味があったらしい。これは納得がゆく。秘儀であるからこそ、開けても開けても、まだ小箱に包まれているのだ。
「シックというものはある少数の人間が発散するものであって、そういう人間は、その友達とかその友達の友達の圏内……」
マルセル・プルースト著 井上究一郎訳 『失われた時を求めて』に出てくる一節である。ここからはじまって、プルーストは延々と、シックとは何かを語る。いや、小説の登場人物にも大いに語らせてもいる。言葉を換え、表現を換えて、語る。それでもまだシックは神秘の箱に包まれているのだ。
たしかにマルセル・プルーストはシックを語ることにおいて、最適、最上の人物であろう。が、そのシックの達人、プルーストによってもシックの真理には届きかねる。シックは秘儀の秘儀たるゆえん、となったならそれまでのことであるのだが。それはともかく『失われた時を求めて』が、シックにふれた最良の書であることは間違いない。
「シックを感得できるのは、文明や文化の面である程度の高さに到達した教養人に限られます。」
ジュヌヴィエーヴ・A・ダリオー著 石井慶一 訳 『新・エレガンスの事典』にはそのように出ている。なるほど私は「ある程度の高さ」に達していなかってのかと、反省している。
が、さらに著者は以下のごとくつけ加えてくれるのだ。
「マレーネ・ディートリヒ、グレタ・ガルボはシックでしたが、リタ・ヘイワース、エリザベス・テーラーは、その美貌、贅沢を尽くした衣裳や宝石をふんだんに所有しているにもかかわらず、シックではない。」
これは、解る。「教養人」からはるか遠いのだが、解る。シックは美貌や豪奢を超えた存在であることが。いずれにしてもシックならではの「秘儀」があり、「秘儀」を知らなくてはシックは覚束ないのであろう。
「さんざん衣裳道楽をした揚げ句の果ての平凡な身なりと、ただ何の変哲もない平凡な身なりとは、その「平凡」ということの中身が違うのである。「渋さ」に至るには、その前に華美、派手の段階を通過していなければならない。」
高橋義孝著『蝶ネクタイとオムレツ』 (昭和五十三年刊 )の一文。著者は「渋さ」と題して、このように書いている。
高橋義孝のいう「渋さ」と、シックはどこかに共通性があるかに思われるのである。