女があってこその男なのか。男があってこその女なのか。これは永遠に解けぬ謎なのでしょうね。
古い話ではありますが、『曾根崎心中』。もちろん、近松門左衛門の作。元禄十六年の芝居。『曾根崎心中』、当時の人たちは拍手喝采。このあまりの人気で、近松門左衛門は浄瑠璃作家として専念しはじめるんですね。
♫此の世の限り。夜もなごり。死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の露……
なんとも調子がいいんですね。江戸中期の偉い学者、荻生徂徠はぜんぶ空で憶えていたという。
『曾根崎心中』に登場するのが、お初徳兵衛。大阪、曾根崎、露天神で死んじゃうんですね。今から三百年ほど前、ほんとうにあった話。ために、露天神は今も「お初天神」の名で知られています。
さて、お初徳兵衛。徳兵衛お初とは言わない。江戸初期のレディ・ファーストでしょうか。芝居でもなんでも女が先にきて、男は後。
では、イギリスではどうなのか。『アントニーとクレオパトラ』。クレオパトラとアントニーとは、言わない。「アダムとイヴ」ですし。
『ロミオとジュリエット』もそうですよね。『ロミオとジュリエット』は、1595年頃、シェイクスピアの書いた芝居。この中に。
「早く来て、夜よ。来て、ロミオ。夜を照らす太陽……」
もちろんジュリエットの愛の科白。これは原文ではすべて韻を踏むように計算されているんだそうです。だから、憶えやすい。イギリス人がよくシェイクスピアを引用するのは、そのせいもあるのでしょうか。
『ロミオとジュリエット』の現代版が、『ウエスト・サイド物語』。アービング・シュルマンの原作に。
「ジーンズに、筋肉の躍動をあらわにあらわすピッチリしたTシャツ……」
これはジェット団の夏のユニフォームについて語っている場面。「筋肉の躍動」。そんなものはありませんが。
まあ、ここはひとつレディ・ファーストで。女性が着た後で、そっと着ることにいたしましょうか。