かまぼことガウン

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かまぼこは、美味いものですよね。板の上に鎮座ましましておりまして。これを食べやすい厚さに切って、食すわけです。
俗に、「板わさ」なんていうではありませんか。もちろん板ではなくて、上のかまぼこのほうを頂くのでありますが。
板わさで一献傾けまして、ざる蕎麦を。これは少し、粋な食べ方なんだそうですね。
かまぼこを漢字で書きますと、蒲鉾。蒲の穂に形が似ているので、「蒲鉾」。
魚の擂り身を竹に巻いて、焼く。これがもともとの「蒲鉾」なんだそうです。
ところが時代が下がって、板に乗せる形が多くなったので、区別のために、「竹輪」の呼び方が生まれたんだとか。
つまり、もともとの「蒲鉾」は「竹輪」だった。ややこしい話なんですが、ほんとうはそういうことなんだそうですね。
ややこしいといえば。蒲鉾は焼いて仕上げた。今の「焼蒲鉾」は原型に近いのかも知れませんが。
仙台に行きますと、「笹かまぼこ」も、古い時代の名残りを感じさせるものなのでしょう。

「………やきたての蒲鉾に生醤油つけて板ぐち囓、腹ふくるるままの晝寝……………………。」

享保二年の古書『世間娘容氣』にも、そのような一節があります。
「たきたて」と書かれているのに、ご注目。享保の時代には、「蒲鉾」を、焼いていたのでしょう。今は多く「蒸す」のですが。
かまぼこが魚の擂り身であるのは、いうまでもありません。石臼で轢くのが、理想。
ひと昔前の、関西言葉では、「くずし」の言い方もあったものです。たぶん魚の身を「崩す」ところから来ているのでしょう。

「あら、かまぼこって、おトトからできているのお……………………。」

ここから生まれた言葉が、「かまとと」。知ってるのに、わざと知らないふりをして、可愛く見せることなんだそうです。まあ、女ごころというものなのでしょう。
かまぼこが出てくる随筆に、『男ごころ』があります。昭和六十四年に、丸谷才一が発表した名品。

「………紅白のカマボコや鰹の照焼や昆布巻や卵焼を肴に甘口の酒を飲む。」

これは「新橋演舞場」で、歌舞伎を観ている時の話。一緒に観ているのは、和田 誠だと書いているのですが。そういえば、丸谷才一の随筆には、よく和田 誠が絵を添えていましたね。
これも「かまぼこ」とも。その心は、「板に付いている」。よく似合ってるというわけですね。
丸谷才一の『男ごころ』のなかに。

「………絹のガウンを背広の上にはらりと羽織り、いろいろなポーズを取つて、女房に写真を撮らせたのである。」

これはロンドンの宿での話。
今、町に出て、シェイクスピア劇を観てきたばかり。その時のシェイクスピア劇は、皆、背広のにガウンを羽織って役者が出てきたので。
なお、丸谷才一は絹のガウンを、ボンド・ストリートで買ったとも書いています。
戦前までの倫敦では、仮に芝居であっても役者がガウン姿であるのは、「はしたない」として、歓迎されなかった。
この常識を逆手にとったのが、ノエル・カワード。御身づからガウンを纏って舞台の上に。
「ガウン姿のカワード」として有名になったものです。
ガウン。ナイト・ガウンとも、ドレッシング・ガウンとも。部屋着であります。寝酒に飲む時に。寝書を読む時に。パジャマの上に重ねるわけです。
どなたか「かまぼこ」と言ってもらえるガウンを仕立てて頂けませんでしょうか。

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