靴とクレピダ

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靴は、シューズのことですよね。足に履く靴のことです。
むかしは、「沓」の言葉もよく用いられたんだそうですね。
平安時代に流行った競技に、「蹴鞠」があります。鞠を蹴って競うので、蹴鞠。鞠は、鹿革の球だったという。
これを蹴るわけですから、おそらく木靴に似た「沓」を履いたものと思われます。こんなふうに考えてみれば、日本での「沓」の歴史もさぞかし古いのでしょうね。
沓は日本式の履物。「靴」は西洋式の履物。とりあえず、こんなふうに考えて間違いではないでしょう。
では、日本での「靴」はいったいいつ頃からはじまっているのでしょうか。

「文久頃より、横浜在勤日本炮卒ら、往々西洋革履を用ふ。また炮卒のみにあらず、士も稀にこれを用ふ。」

天保八年に、喜多川守貞が書いた『近世風俗志』に、そのように出ています。
さらには。

「………西洋騎法を学ぶ等の士、皆洋靴を用ふ。」

つまり、幕末にすでに西洋戦術を学ぶ武士たちは、必要上、「靴」を履いたことが窺えるでしょう。

「………此程専売免許を得て、下谷仲御士町一丁目七番地より発売したるやまと靴は……………………。」

明治十九年の『団団珍聞』にも、そのように出ています。
少なくとも明治十九年には日本製の「靴」があったものと考えてよいでしょう。
では、明治期の「靴」にはどんなのがあったのか。

「………私は其時分からハイカラで手數のかかる編上を穿いてゐたのですが、 ー 
私がこゞんで其靴紐を解いてゐるうち、Kの部屋では誰の聲もしませんでした。」

大正三年に、夏目漱石が発表した『こころ』には、そのように書いています。つまり、
「編上靴」を履いていたのでしょう。今様に申しますと、セミ・ブーツで、前を長い紐で結ぶ式の靴だったと思われます。
夏目漱石が、明治四十四年に書いた随筆に、『ケーベル先生』があります。この中に。

「先生は紀元前の半島の人の如くに、しなやかな革で作つたサンダルを穿いて音なしく電車の傍を歩いてゐる。」

この時、ケーベル先生は「サンダル」を履いていたことが分かります。
漱石がケーベル先生を訪ねたのは、明治四十四年七月十日のこと。ケーベル先生は、
ロシアに生まれた哲学者です。
古代ロオマにすでにサンダルがあったのは、よく知られている通りでしょう。
たとえば、「クレピダ」cr ep id a 。これは大胆に開放的な靴でありました。
革紐で編んだサンダル。ただし甲と踵部分は、足をしっかり支えることのできるスタイルになっていました。
どなたか古代ロオマのクレピダに似たサンダルを作って頂けませんでしょうか。

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