素顔と杉綾

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素顔は、素面のことですよね。何も足さない、何も引かない、そのままの顔。
つまりは、「素っぴん」。素っぴんは古い藝人言葉から出ているんだそうですね。藝人同士が楽屋で使った言葉がはじまりなんだとか。

「さつぱりとした銀杏返しに結つて、こんな場合に人のする厚化粧なんぞはせず、殆ど素顔と云つて好い。」

森 鷗外が、1913年に発表した短篇『雁』には、そのように出ています。これは「お玉」という女性について。
森 鷗外は「結つて」と書いて、「いつて」のルビを添えています。
明治の頃には、「結つて」は、「いって」と発音したのでしょう。

知名人の素顔を描いた随筆に、『私の見た人』があります。吉屋信子が、昭和三十八年に発表したエッセイ。もともとは『朝日新聞』に連載されて読物だったのですが。今は、吉屋信子著『私の見た人』として、一冊に纏められています。

「………ツヤぶきんでよく拭きこんだような頭、顔も光沢を放って年経た大きなゴムまりのようで………」

「古今亭志ん生」の印象を、吉屋信子はそのように書いています。

「あたしはね。高座に上るまでなんにも考えないね。すわってまくらを言っているうちに客の様子をさぐるんです。」

吉屋信子は、古今亭志ん生に、そのようにも語らせてもいます。名人ならではの名言でしょう。
古今亭志ん生は、師匠だった円喬の藝についても語っています。円喬の噺のひとつに、『鰍沢』があって。この噺のなかに滝の場面が。円喬が滝の擬音を語りはじめると。客の皆が皆、雨が降ってきたと思ったそうですね。自分の藝より師匠の藝を語る志ん生も立派ですが。

吉屋信子著『私の見た人』には、「大倉喜七郎」の話も出てきます。
大倉喜七郎は、富豪の大倉喜八郎のご長男。学習院から、英国のケンブリッジに留学した選良中の選良であります。
その昔、大倉喜七郎がふらりと店に入って来て。「スーツを仕立てて頂きたい」。
その店の主人は丁重にお断り申し上げたという。今も銀座にある「壹番館」でのこと。創業者、渡邉 實の話として。
大倉喜七郎は当時からそれくらいの洋服通だったのです。

「………服は杉綾縞、そしてネクタイがやはり杉綾縞、もう相当の年輩珍しきダテ男の姿だった。」

吉屋信子は、はじめて会った大倉喜七郎の印象をそのように書いています。
これは吉屋信子が川奈ホテルに泊まった時の印象として。支配人を伴って、大倉喜七郎自身が、吉屋の部屋まで、夕食のお誘いに来たときの様子。
うーん。杉綾のスーツに、杉綾のネクタイですか。
たぶんスーツに会わせて、ネクタイを仕立てさせたものでしょう。
どなたか杉綾のネクタイを作って頂けませんでしょうか。「ラッキー・セヴン」と命名いたしますから。

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