唐物とトリミング

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唐物は、舶来品のことですよね。「唐」はとりあえず昔の中国の意味ですが。明治語としての「唐物」は、実際には、「異国」の意味だったのです。。
「唐物屋」というではありませんか。唐物屋は、今の舶来洋品店のことでありました。舶来洋品店ですから、アメリカ物も、イギリス物も、フランス物も並べてあったのです。
幕末までの日本では異国の品々はご法度でしたから、「唐物」と言い代えた。その名残りが明治に入ってからも続いていたのですね。

「だから日本の文學者が、好んで不安と云ふ側からのみ社会を描き出すのを、舶来の唐物の様に見なした。」

明治四十二年に、夏目漱石が発表した小説『それから』に、そのような一節が出てきます。
今でいう西洋かぶれの意味で、漱石は「唐物」の言葉を使っているわけですね。
漱石の『それから』を読んでおりますと、こんな文章も出てきます。

「絹帽で鰻屋へ行くのは始めてだな」と代助は逡巡した。」

うーん。明治の頃は、シルク・ハットで鰻屋に行く機会はあまりなかったのでしょうか。

夏目漱石の『吾輩は猫である」にも、唐物屋が出てきます。

「………唐物屋でも白の気で売り捌いたのみならず、主人も白と云う注文で買つて来たのであるが………」

これは毛布の話。縁側に拡げた毛布が、薄いグレイなっているので。ということは明治後半には、毛布もまた、唐物屋で買い求める物だったのでしょう。
また、『吾輩は猫である』にはこんな描写も出てきます。

「………そうかと思うと白の帆木綿に黒い縁をとって胸の真中に花文字を、同じ色に縫いつけた洒落者もある。」

これは当時の野球選手の服装として。ここでの「黒い縁」は、トリミングでしょうか。
「帆木綿」は、キャンバス。たぶん一重仕立てなのでトリミングが必要だったのでしょう。
どなたかキャンバスにトリミングのある上着を仕立てて頂けませんでしょうか。

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