ブルターニュとブレテル

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ブルターニュは、フランスの地方ですよね。ブレトン・ベレエの故郷でもあります。また、ブルターニュならではの美味しいものもたくさんあります。たとえば、カルヴァドス。リンゴの名産地でもありますから。
今、パリからは、TGVなら、二時間でレンヌに着きます。東京、名古屋くらいの感覚でしょうか。
大正二年に、ブルターニュを旅したお方に、山本 鼎がいます。山本
鼎は、明治十五年に、岡崎に生まれた画家です。『赤い鳥』などに、児童画を多く描いた人物です。
大正二年には、山本 鼎は巴里にいて。夏の休暇にブルターニュに誘われたんだとか。紀行文『ブルターニュの手紙』は、その時の随筆なのです。
山本 鼎は、ブルターニュ、ケルファニーの宿に泊まっています。その昔、マドモアゼル・ケルファニーが建てた、元礼拝堂に。

「蛤、肉、蝦、馬鈴薯、梨、というなかなか豊富な食卓で、本場だから林檎酒が結構だ。」

山本 鼎は『ブルターニュの手紙』の中に、そのように書いています。着いた日のランチの様子として。ケルファニーは、海の傍なので、魚介類が豊かなのでしょう。

1847年に、ブルターニュを目指した作家に、フロべエルがいます。もちろんフランスの作家、ギュスターヴ・フロべエルのことです。友人の、マクシム・デュ・カンとふたりで。
その時の記録が、『ブルターニュ紀行』なのです。『ブルターニュ紀行』は、正しくは、フロべエルとデュ・カンとの共著というべき内容になっています。
1847年5月1日。フロべエルとデュ・カンは、巴里を出発しています。主に、徒歩で。この時、フロべエルはどんな服装だったのか。

平織りの上着一着(馬丁の着るようなシャレたやつ)
平織りのズボン一本(ゲートルにぎゅっと巻き込めるような、並外れてだぶだぶしたもの)
平織りのチョッキ一枚(優美な裁断が生地の卑俗さを補っているもの)
これに、ラシャ地の同じ服をもうひと揃い加える。

フロべエルは、『ブルターニュ紀行』の中に、そのように書いています。主にウール地の服装だったのですね。

ブルターニュが出てくる短篇に、『海辺の悲劇』があります。
1835年に、フランスの作家、バルザックが発表した小説。

「釣合いよく掻きならされたえんでん、ブルターニュの草木の群をおびやかす灰色の土地、それらの物凄い光景は、われわれの心の悲しみにふさわしいものでした。」

また、バルザックの『海辺の悲劇』には、こんな描写も出てきます。

「それから帆布のシャツを着て、ズック地の粗末なズボン釣りをしています。」

これは村で出会った漁師の姿として。「ズック地のズボン釣り」。そんなのもあったのですね。
ズボン吊り。チョッキを着る時には欠かせない小道具であります。
フランスなら「ブレテル」bretelle でしょうか。
どなたかキャンヴァスに刺繍のあるブレテルを作って頂けませんでしょうか。

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