漱石と鳥打

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

漱石は、もちろん夏目漱石ですよね。夏目漱石がロンドンに留学したのは、よく知られているところでしょう。
明治三十三年のこと。今からざっと、百十五年ほど前の話。漱石はロンドンでなにをしていたのか。たいていは下宿で、英文学の勉強をしていたのでしょう。
でも時には。気晴らしを兼ねて、ロンドンの名所旧蹟にも足を運んでいます。たとえば、「カーライル博物館」だとか。
カーライル博物館は、チェルシーの哲人と謳われた、トーマス・カーライルの旧邸が博物館になっているところ。余談ですが。トーマス・カーライル著『衣服の哲学』は、名著ですよね。
ところで。カーライル博物館を訪れた日本人は、漱石がはじめてだったみたい。少なくとも漱石自身は、そう思っていたようです。
その頃。カーライル博物館に入るには、署名を求められた。漱石が署名をする時、前のページを見ると、日本人の名前はなかったから。
このことは夏目漱石著『カーライル博物館』に詳しく出ています。漱石はカーライル博物館に行っただけでなく。名所、ロンドン塔をも訪れています。カーライル博物館には、四回、ロンドン塔には一回だけ。漱石がロンドン塔を訪ねたのは、明治三十三年十月三十一のことと、記録されています。

「そのビーフ・イーターの一人が余の後ろに止まった。」

夏目漱石著『倫敦塔』には、そのように書いています。漱石はビーフ・イーターに声かけられて、しばし立ち話。それから、塔内を案内されています。ところで、ビーフ・イーターの話が出てくるミステリに、『帽子収集狂事件』が。1933年に、ディクスン・カーが発表した物語。この中に。

「塔内の警備員にはヨーマン・ワーダーという正式の名称があって、ビーフ・イーターとはいわんのです。」

これは物語中の、ロンドン塔副長官、メースン将軍の科白。また、こんな描写も。

「鳥打帽にあかるい茶のゴルフ服、ウーステッドの靴下でクラブタイを結んでおりました。」

これは新聞記者の、フィリップ・ドリスコルの着こなしについての説明なんですね。
さて、鳥打帽を被って。漱石の古書を探しに行くとしましょうか。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone