リプトンとホンブルグ

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リプトンはもちろん、紅茶の銘柄ですよね。
リプトン紅茶が日本にはじめて入ってきたのは、明治三十九年のことなんだそうですが。
リプトンは、スコットランドのトーマス・リプトンがはじめたので、その名前があります。
サー・トーマス・リプトンは、1850年5月10日の生まれ。スコットランドのグラスゴーで。でも、お父さんもお母さんも、アイルランドの出身。トーマスが生まれより前に、アイルランドからスコットランドに移って来ていた。
それでトーマスは自分のことをアイルランド人だと考えていたようです。毎日のように港に行っては。アイルランドから着く船を眺めていたという。それで、船が好きだった。自分できを削って小舟を作り、川に浮かべてひとりで遊ぶような少年だった。
1863年に。トーマス・リプトンはある帆船のキャビン・ボーイとして採用してもらう。よほど船が好きだったんでしょうね。
1865年のこと。トーマスは偶然、港でNY行きの船を見つける。と、これに乗ってしまう。トーマス少年、十五歳のこと。
NYに着いてからは、大いに働いて、商売のコツを覚える。トーマス・リプトンが故郷のグラスゴーに帰ったのは、1871年のことです。ここで小さな食料品店を開く。やがて紅茶を扱うようになって、成功。その時代の紅茶はまだまだ高級品で、それを大衆の手に届く値段にすることによって。
紅茶で成功したトーマス・リプトンが情熱を傾けたのが、船。1899年に、「シャムロック号」を、完成。シャムロックは、アイルランドの象徴ですよね。その後、いくつもの船を造っていますが、名前はすべて「シャムロック号」。もちろん、アメリカズ・カップにも「シャムロック号」で出場しています。
1958年のアメリカズ・カップでは。オーリン・J・スティーヴンズ率いる「コロンビア号」が優勝しています。
1958年に発表されたミステリに、『最後の一撃』が。エラリイ・クイーンの物語。この中に。

「トウィードのオーバーコートを着てホンブルグ帽をかぶるはずがありません。」

これは犯罪研究家の、エラリイ・クイーンの科白。1950年代の、トゥイード外套は、ややくだけた感じのものと、思われていたのでしょうか。
それはともかく。とりあえず帽子を脱いで。美味しいリプトン紅茶をいただくとしましょう。

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