恋とカーネーション

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恋と題につく曲は、多いですよね。
『恋の片道切符』とか。『恋の気分に』、『恋とは何でしょう』、『恋人よ我に帰れ』……。
古今東西、歌は恋のためのものと言ってしまえば、恋の題が多いのも当然であるのかも知れませんが。
そんな恋の歌のひとつに、『わが恋はここに』がありますよね。アイラ・ガーシュイン、作詞。ジョージ・ガーシュイン、作曲。1938年の作曲。
たしかにその通りなんですが。ちょっとした事情があって。
ジョージ・ガーシュインは、1937年に死去。三十八歳。7月11日 ( 日 ) 午前10時35分と記録されています。
つまり、ガーシュイン作とされる『わが恋はここに』は、未完成曲だったわけですね。ところが、作曲家で、友人の、オスカー・レヴァントが『わが恋はここに』のことを覚えていた。
ジョージ・ガーシュインの家に遊びに行って、『わが恋はここに』を作曲するのを、耳で聴いていた。
で、そのメロディーを同じく作曲家の、ヴァーノン・デュークに伝えるんですね。そこからヴァーノン・デュークが1938年に完成させたのが、今の『わが恋はここに』なんだそうです。
でも『わが恋はここに』はそれから後、半ば忘れかられていた。それがまた人気となるのが、1951年のこと。
ミュージカル映画『パリのアメリカ人』のなかで、ジーン・ケリーが『わが恋はここに』に歌って、ヒット。これによってふたたび注目されることになったのです。
『わが恋はここに』は、いろんな歌手によって歌われています。エラ・フィッツジェラルドと、ルイ・アームストロングとのゴールデン・コンビによっても。
1938年に発表されたミステリに、『帽子から飛び出した死』が。クレイトン・ロースンの物語。クレイトン・ロースンには、メルリーニの名前もあって、プロのマジシャンでも。その「メルリーニ」が探偵役となって登場するのが、『帽子から飛び出した死』なんですね。この中に。

「山高帽を被り、カーネーションをつけ、スパッツをつけ、杖を持っていた……」

これはスコットランド系中国人の、チン・ウォン・フウという人物の着こなし。
さて、襟にカーネーションを挿して。題の恋のつくレコードを探しに行きたいものですが……。

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