荷風とネクタイ・ピン

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

荷風はもちろん、永井荷風のことですよね。
荷風の本名は、永井荘吉。ではどうして、荷風なのか。
永井荘吉は大学在学中、病である病院に。その病院の看護婦さんに恋心を。その看護婦さんは、お蓮。それで、「荷風」。というのは「荷」の字には「蓮」の意味もあるんだそうですね。
永井荷風は、明治十二年の生まれ。ただし永井家の家風はとてもハイカラだったそうです。お父さんの主義として。
明治の頃から自宅で、すべて洋風だった、テーブルクロスがあって、その上でなにからなにまで、西洋式の食事。
荷風が子供のころ、はじめて上野「精養軒」に連れて行かれた。その時荷風は、「よそでも西洋食があるんだ」と、不思議に思ったくらいだそうです。
この話は永井荷風著『洋服論』に出ています。『洋服論』は大正五年八月に書かれています。この中には。

「近年堅きカラーの代りにシャツと同色の軟きカラーを用ゆるものあり。これまた米国の風にして欧州にては多く見ざる所なり。」

当時としてはハイカラであり、また興味深い話がいろいろと出ています。永井荷風が『墨田川』を発表したのが、明治四十二年。1909年のこと。
1909年、英国、ロンドンに生まれたのが、エリック・アンブラー。エリック・アンブラーで好きなのが、『あるスパイへの墓碑銘』。この中に。

「ふつうのピンだよ。直径三ミリほどのダイヤモンドが頭についている、六センチくらいのネクタイ・ピンだよ。」

1938年頃には、このようなネクタイ・ピンは、ごく当たり前だったのでしょうね。
なにかネクタイ・ピンを挿して。荷風の本を探しに行きたいものですが。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone