紅茶は美味しいものですね。
紅茶は好みの濃さで飲むにも好都合でしょう。
たとえば喫茶店に入って、ポットで出てきた場合。その置く時間によって、ある程度濃さが調節できるというものです。
「スプーンが立つ」。これは紅茶にも珈琲にも使われる形容なんだそうですね。つまりはそれほどに濃い。そう言いたいのでしょう。
紅茶がお好きだったのが、吉行淳之介。 吉行淳之介の『紅茶』と題する随筆に。
「紅茶とトーストの朝食を摂っているとき……」
そんなふうに書きはじめています。その頃。吉行淳之介は朝食のとき、『東京新聞』を読んでいた。当時の『東京新聞』に「運勢」という占いの欄があった。担当は、「松雲庵主」。
ある朝、「運勢」で、子年のところを見ていると。
「猿樹上にありて大いに威張るの象」
申年というので、阿川弘之に電話を。阿川弘之は大正九年十二月二十四日生まれ。吉行淳之介は、大正十三年四月十三日生まれ。
「今日の運勢は申年に負けるとでている……」
賭け事に誘うんですね。阿川弘之さっそうとやってきて、大敗。それからしばらくの後。またしても「運勢」に、申年が子年に勝つと、出ている。また、吉行淳之介が阿川弘之に電話で、そのこと告げる。それに対する阿川弘之の返事。
「もう、その手はくわない。」
子年の吉行淳之介が好きだったのが、ミロ。ホアン・ミロ。ほとんど偏愛と言ってよいほどの傾倒ぶりでした。
ホアン・ミロが『農場』を描いたのが、1922年のこと。
1922年に永井荷風は、『独居雑感』と題する随筆を書いています。この中に。
「私は外出する時いつも、今日は何遍靴脱ぐか予め考へて、靴下もそれに応じて履いてゆく。」
靴を脱ぐ回数に合わせて、その日の靴下を選んだ、ということなんでしょうか。いずれにしても荷風が靴下に気を配っていたのは、間違いないでしょう。
さて、お気に入りの靴下で。美味しい紅茶を飲みに行くとしましょうか。