キャパとルバシカ

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キャパはもちろん、ロバート・キャパですよね。
ロバート・キャパがはじめてパリに住むようになったのは、1934年のことなんだそうです。1934年のパリでキャパがよく通ったのが、「カフェ・ドーム」。同じ写真家の、アンリ・カルティエ=ブレッソンとはじめて出会ったのも、カフェ・ドーム。
キャパのパリでのはじめての仕事は、ポスター。スイスのある保険会社のポスター。その時の条件は、ブロンドの美人をモデルにすることだったそうです。
キャパには「ブロンドの美人」に、心当たりはあった。いつものカフェでよく会う女性。キャパはカフェに行き、「ブロンドの美人」を探す。それが、ルート・ツエルフ。撮影は、パリの公園で。
その撮影に、ルート・ツエルフと一緒に来たのが、ゲルダ・ポホリレスだったんですね。後の、ゲルダ・タロー。「ゲルダ・タロー」は、その頃の友人だった岡本太郎の名前を頂いたもの。ゲルダ・タローが若き日のキャパの名マネージャーになったのは、よく知られているところでしょう。
ロバート・キャパは1913年10月22日。ブダペストに生まれています。ブダペストにはじめて地下鉄が走ったのが、1896年のこと。
1896年のロシアで発表されたのが、『わが人生』。チェーホフの小説。この中に。

「足音がきこえ、絹のルバーシカに深い長靴をはいたドクトル・ブラゴーヴォが、木立の間に姿をあらわした。」

『わが人生』には何度か「絹のルバーシカ」が出てきます。
いいなあ、絹のルバシカ。ルバシカ着て、キャパの写真集を探しに行きたいものですが……。

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