まんじゅうとマント

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まんじゅうがお好きな人も、少なくないんでしょうね。
饅頭は、鎌倉時代に今の中国から伝えられたそうですから、古いようです。江戸期の饅頭屋の店先には、木馬を看板代わりにしたんだという。木馬、荒馬。「あら旨し」のシャレだったそうです。
同じ頃、大坂に、岡 弥一郎という人がいた。弥一郎の趣味が、茶の道。毎年の一月十三日に。「饅頭会」を。饅頭を食べて、茶を飲む。中には饅頭を五十個も食べた人がいたんだそうです。「饅頭会」は有名になって。弥一郎が亡くなってからも、子や孫が「饅頭会」を続けて。明治になってからは、開かれることがなかったそうですが。
まんじゅうがお好きだったおひとりに、内田百閒が。まんじゅうの中でも、薄皮饅頭がことに。薄皮饅頭の中でも、ことに大手まんじゅうが。
「大手まんじゅう」は、岡山の銘菓。天保八年の創業とか。内田百閒は「大手まんじゅう」があれば、ご機嫌だったそうですね。
内田百閒が明治四十一年頃に書いた随筆に、『鶏蘇佛』があります。この中に。

「僕が父の二重マントを著て、山高帽を被って……」

「二重マント」は、二重回しのことでしょうか。
マントは、フランス語の「マントー」 manteau から来ているのでしょう。そして、明治の頃から遣われていたことが分かりますね。

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