濹東綺譚は、言わずと知れた荷風の傑作ですね。荷風といえば、墨東、墨東といえば、荷風と言いたい位のものであります。
そもそも「墨東」は荷風なりの言葉で、墨田川の東の地域という意味なんだそうです。今は、隅田川とすることが一般ですが、昔は多く「墨田川」と書いたんだそうですね。
『濹東綺譚』は、昭和十二年八月に岩波書店から出ています。それが書きはじめられたのは、昭和十一年九月二十一日のこと。この頃の荷風は麻布市兵衛町の「偏奇館」に住んで、毎日のように玉の井に足を運んでいます。『濹東綺譚』は小説以上の小説でありましょう。『濹東綺譚』の中に。
「 「檀那、そこまで入れていってよ。」といいさまお、傘の下に真白な首を突込んだ女がある。」
玉の井を歩いていて、にわか雨。大江 匡は常に傘を持ち歩くので、拡げる。そこに見ず知らずの、お雪が飛びこんでくる場面。で、ふたりは知りあうことに。これ、ふつうに読むと、「なんだか話がうますぎて………」と思うでしょう。が、これは実際にあった話なんでしょうね。男の、大江 匡はもちろん荷風の分身でしょう。それにしても美しい文章ですねえ。
この『濹東綺譚』に絵を添えたのが、木村壮八。はじめ「朝日新聞」に連載されて、後に単行本。でも、『濹東綺譚』は最初から、原稿はできていて。それを、新聞に、分載。
そんなわけで、木村壮八は一度ぜんぶの原稿を読んでから、挿絵に取りかかることが。木村壮八にとっての玉の井は、勝手知ったる庭みたいなもので。しかしそれでも、足繁く玉の井に通った。
荷風の『濹東綺譚』は、名作。そして『濹東綺譚』を大名作にしたのは、木村壮八の絵。絵も文も、当時の玉の井を活写しています。この上なく貴重な資料でしょうね。
木村壮八は筆の立つ人で。『現代風俗帖』などの著書もあります。この中に。
「今日ではハイ・ネック high neck といふ伊達な………」。
『現代風俗帖』は昭和二十七年の刊行。もうすでに「ハイ・ネック」の言葉が使われていたのですね。
ハイ・ネックのスェーターは応用範囲も広く、使いやすいものです。色変わりで何枚か持っていたいものですね。