テニスと洒落者

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テニスの歴史も、古いんだそうですね。昔、むかし、フランスに「ジュ・ド・ポーム」という遊びがあったという。この「ジュ・ド・ポーム」こそ、今のテニスの起源だろうと、考えられています。もっとも「ジュ・ド・ポーム」は、室内球技だったそうですが。
現在のように外で球を打ち合うのは、1873年の英国ではじまったんだとか。1873年に、芝生の上で、球を打った。で、「ローン・テニス」の名前が生まれたんだとか。
英国の、ウォルター・ウィングフィールドという人物が、芝生の上でのテニスを提案。ウォルター・ウィングフィールドがたまたま、ヴィクトリア女王の近衛兵でもあったところから、大流行に。
そしてまた、W・ウィングフィールドのはじめたのが、ウィンブルドンだったので、今なおテニスの聖地とされるわけですね。
このウィンブルドンで、テニスの観戦をしたのが、小泉信三。大正二年のことです。小泉信三、ウィンブルドンでテニスを観て。「面白い!」と思ったのでしょう。すぐに、テニスについての本を買い集めて、母校の慶應大学に送った。
そんなこともあって、日本でのテニスは慶應大学がはやいんだそうですね。もちろん小泉信三自身も、テニスに熱心だったおひとりでありますが。

「ホテルの前の貸コオトで月曜日だというのに朝からテニスをやつているものがある。」

1936年8月28日の、『小泉信三日記』には、そのように出ています。ちょっと、羨ましくもあったのでしょうね。
また、それより少し前の、8月26日の日記には。

「衣服は女は大騒ぎすれど、男子は特別の洒落者のほかは無雑作にて、小生の和製のものでも通用致候。靴も帽子も別に新調に及ばず候。」

でもねえ。「大騒ぎ」もせず、「無雑作」に服を着る。これが、難しいんですよね。

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