エラとドゥ・スキン

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エラで、ジャズでといえば、エラ・フィッツジェルドでしょうね。二十世紀を代表する女性歌手です。
エラ・フィッツジェルドの歌で。これはもう、枚挙にいとまがなくて。でも、あえてというなら、『サマータイム』。絶唱ですよね。エラとサッチモとのデュエットなんかもありまして。エラと『サマータイム』、なにかとご縁があるみたいですね。
エラ・フィッツジェルドの歌手誕生は、1935年のことなんだとか。エラ、十八歳の時。ハーレムの、「サヴォイ・ボールルーム」で歌った。
1935年は、『ポーギーとベス」が初演された年でもあって。1935年10月10日。ブロードウェイの、「アルヴィン・シアター」で。『ポーギーとベス』の挿入歌のひとつが、『サマータイム』。
『サマータイム』はもちろん、ジョージ・ガーシュイン。ガーシュインは古い黒人霊歌、「時には母のない子のように」をヒントにしたとの説もあります。
1935年に発表されたミステリに、『義眼殺人事件』が。E・S・ガードナーが書いた物語。この中に。

「予備を一つ、チョッキのポケットにしのばせておく程度です。義眼がすいこまれないように、チョッキのポケットには鹿革で内張りがしてあります。」

これは依頼者、ピーター・ブルーノードの科白なんですね。話を聞いているのはもちろん、ペリー・メイスンという設定。
「鹿革」。もしかすれば、ドゥ・スキン doe skin かも知れませんね。昔、巨人軍の水原監督は、鹿革のズボン下を穿いていたそうですね。真冬の、寒いグラウンドで。
このドゥ・スキンに似せた生地が「ドスキン」。もっとも十九世紀には、よく乗馬ズボンをドゥ・スキンで仕立てることがあったようですね。

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