フェーン現象というのがあるんだそうですね。たとえば高い山があって、この山に風がぶつかった時、いろんな空気の変化がおきる。そこからフェーン現象が起きるんだとか。
フェーンは、もともとはアルプス山脈特有の風の名前だったそうですね。今では、「風炎」の宛字もあるくらいに、すっかり身近なものになっています。たとえば、群馬には赤城山があって、秩父山があって。ここでも時にフェーン現象のおきることがあるんだそうです。
群馬には、太田町という場所があるらしい。昭和二十年頃、一時期、この太田町に住んでいたのが、三島由紀夫。もっとも昭和二十年にはまだ本名の、「平岡公威」のほうで知られていたでしょうが。
「平岡公威」が昭和二十年に群馬の太田町にいたと、分かるのか。それは平岡公威の葉書が遺っているから。昭和二十年一月十二日の日付になっています。宛名は、中河与一。つまり三島由紀夫が中河与一に宛てた葉書なのです。余談ですが、中河与一の住所は、世田谷区になっています。世田谷区祖師ヶ谷二丁目一三三一番池。
昭和二十年は戦争中のことで。後の三島由紀夫は、東大在学中のまま、群馬に移っていたのでしょうね。葉書の内容は、もちろん文学の話が中心になっています。中河与一も三島由紀夫も文学にのみ関心を持っていたことが分かります。
中河与一が三島由紀夫にどんな手紙を書いたかは、定かではありません。が、三島の中河宛の葉書は多く遺っていて、とおりいっぺんのつきあいではなかったように思われます。
中河与一が戦後になって書いた小説の葉書、『三人姉妹」があります。この中に、「斎藤篤司」という人物が出てくるのですが。斎藤篤司は、なにを着ているのか。
「グリーンのホームスパンの服に黄色いくすんだネクタイをしめていたが、その服装はさりげなく風に洗練され、ゆきとどいた趣味を感じさせた。」
うーん。「ゆきとどいた趣味」の、ホームスパンを着てみたいものですが…………。