饅頭とマント

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饅頭は、美味しいものですね。第一、飽きない。朝に饅頭、昼に饅頭、夜に饅頭。まったくもって、問題ありません。
饅頭は、まんぢゅうとも書くようですね。「まんぢゅう」がお好きだったのが、古川ロッパ。古川ロッパはまんぢゅうに限らず、美味いものに目のなかった役者であります。古川ロッパは昭和二十六年六月九日にも、まんぢゅうを食べています。

「内田百閒「随筆億劫帳」を読み始める。六時、郡山着。もう皆起きて、牛乳を買ふやら名物薄皮まんぢゅうを食ふやら。僕、牛乳一本、まんぢゅう二つ、茹卵一つ、サンドイッチ少々。」

『古川ロッパ昭和日記』には、そんな風に出ています。では、この時、古川ロッパが食べた「名物薄皮まんぢゅう」は、何であったのか。郡山、「柏屋」の薄皮まんぢゅうだったのです。「柏屋」薄皮まんぢゅうは、嘉永五年の創業。日本三大まんぢゅうのひとつ。三大まんぢゅうのもうひとつが、岡山の「大手まんぢゅう」。大手まんぢゅうをこよなく愛したのが、内田百閒。

「私は度度、大手饅頭の夢を見る。大概は橋本町の大手饅頭の店に這入って、上り口に腰を掛けて饅頭を食う夢である。」

内田百閒は、『大手饅頭』と題する随筆を、そんな風に書きはじめています。戦前、内田百閒は岡山から大手饅頭を取り寄せていたそうですから、よほどお気に召していたのでしょうね。内田百閒の師匠が、夏目漱石。夏目漱石もまた甘いものには目がなかったらしい。

「その晩宗助は到来の菓子折の蓋を開けて、唐饅頭を頬張りながら…………」。

夏目漱石著『門』の、一節。漱石が饅頭を食べたことは、まず間違いないでしょう。また、『門』の中に。

「獺の襟の着いた暖かそうな外套を着て、突然坂井が宗助の所へ遣って来た。」

「外套」の脇には、「マント」のルビが振ってあります。「獺の襟」はさておき、時にはマントも着てみたいものですね。

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