カステラは、美味しいものですよね。カステラがお嫌いというお方はまずいらっしゃらないでしょう。
カステラの底の、あのじゃりじゃりとしたあたり、なんて美味いのか。大きな桐の箱を開けて、ふわりふわりした中身を誰かがぜんぶ食べてくれて、その後のじゃりじゃり部分だけをくれたなら、雲に乗る気分でありましょう。
カステラがお好きだったのが、野上弥生子。お好きというよりも、おやつではなくて朝ごはんにカステラを召しあがった。
おやつは、臼杵煎餅。野上弥生子は、臼杵のご出身だったから。臼杵の小手川酒造のお嬢様。それが夏目漱石の弟子の野上豊一郎と結婚して、野上弥生子。野上弥生子は明治のお生まれで、99年の長寿を保っています。たぶん毎朝のカステラが長生きの薬だったのではないでしょうか。カステラに添えて、抹茶。抹茶にカステラを食べた後、原稿用紙に向かったという。
野上弥生子のカステラ好きは、漱石と関係しているのかも。少なくとも野上弥生子が小説を書くようになったのは、漱石の勧めがあったからなんですね。
「句佛ニ逢フ。今夜東上すと云ふ
歸途カステラを包んでくれる。」
夏目漱石は、明治四十年四月四日の『日記』に、そんな風に書いています。句佛は、大谷光演のこと。東本願寺二十三代目法主でもあった人物。その一方、正岡子規の弟子でもありました。漱石とも昵懇でありました。その句佛が漱石にカステラを出したのは、漱石が決してカステラが嫌いではないと、知っていたからでしょうね。事実、漱石は『虞美人草』の中にカステラを登場させています。
「チョコレートを塗つた卵糖を口一杯に頬張る。」
「卵糖」の脇に、「カステラ」と、ルビがふってあります。また、『虞美人草』には、こんな描写も。
「がらりと障子を明けて、赤い鼻緒の上草履に、カシミヤの靴足袋を無理に突き込んだ時、下女が来る。」
「靴足袋」は、明治語。今の靴下のこと。つまりカシミアの靴下なんですね。いいなあ、カシミアのソックス。