パパとペンダント

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パパは、お父さんのことですよね。父であり、父親であり、ファーザーであります。パパ papa はふたつの音が重なるだけの言葉。それでこんなにも深い意味になるとは、驚くばかりであります。「パパ」のなんと情愛の濃やかなことか。
「パパ」はたぶん「世界語」の第二位かと思われます。世界中のあらゆる国で「パパ」は使われています。その広いこと、第二位。第一番めは、おそらく「OK」かと。この地球上で「OK」の通じない国はないのではないでしょうか。
いやOKの話をするつもりではありません。シュークリームの話でした。「シュークリームの矛盾」。シュークリームを選ぶ時、大きいほうが嬉しい。でも、実際に食べる瞬間は、「小さいほうがよかった」と、思う。これ、「シュークリームの矛盾」であります。
明治期、「凮月堂」のシュークリームを食べたのが、森 茉莉。ただし森 茉莉は「シュウ・ア・ラ・クレェム」ではなく、「シュウクリイム」だったと書いているのですが。森茉莉の頭の中では、このふたつはまったく別々のものであったようですね。
森 茉莉著『貧乏サヴァラン』の中で、「シュウクリイム」について、熱く熱く語っています。

「父親は独逸の雑誌から、いろんな写真や絵を切り抜いてノオトブックに貼り、私に与えていたが…………」。

森 茉莉は「シュウクリイム」を語る折にも「父親」が出てくるんですね。「父親」が、明治の文豪、森 鷗外であるのは言うまでもないでしょう。もっともふだんは、「パッパ」と呼んでいたそうですが。一方、鷗外は娘のことを、「お茉莉」と可愛がった。
森 茉莉が終生、「少女の心」を喪うことがなかったのは、この「パッパ」と関係しているのではないでしょうか。森 茉莉はまた、男に魅力についても多く語っています。たとえば、『男を魅力と困った点』という随筆があります。この中に。

「アラン・ドゥロンが「太陽がいっぱい」で、胸をあけて着た白い襯衣と、小さなペンダントに至っては優美の極である。」

ああ、流行りましたね、あのペンダント。たしか金の舵輪が付いていました。その当時は猫も杓子も………。かく言う私も猫か杓子だったのですが。
それはともかく細い、金の、上品なペンダント、してみたいものですね。

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