ダネイで、ミステリでといえば、フレデリック・ダネイですよね。でも、フレデリック・ダネイではピンとこないかも知れませんが。
エラリイ・クイーンのこと。エラリイ・クイーンをご存じないとは言わせませんよ。エラリイ・クイーンは、ペン・ネイム。フレデリック・ダネイと、マンフレッド・リーとの。つまり「エラリイ・クイーン」の数多くの著作物は、フレデリック・ダネイとマンフレッド・リーとの合作だったわけですね。さらには、ダネイとリーは同じ1905年生まれの従兄弟同士でもあったのでもすが。
1920年代末、ダネイもリーもニューヨークで働いていた。ダネイは、広告代理店で。リーは、映画会社で。ダネイとリーはよくふたりでランチを食べることがあって。
1928年のある日も、ふたりは行きつけのレストランで、昼食。昼食が終わって、珈琲を。その時、偶然に、ミステリ・コンテストが話題になった。ある出版社がミステリ小説を募集していた。賞金は、7,500ドル。今の時代なら、7,500万円くらいでしょうか。ふたりのうちの誰かが言った。
「その賞金、俺たちがもらっても悪くはないよね」。
その結果生まれたのが、『ローマ帽子の謎』。1929年のことであります。『ローマ帽子の謎」は、拍手喝采。もちろんミステリとして優れていたから。そしてもうひとつには、気障な文体だったから。英國風の表現が多かったのですね。
エラリイ・クイーン編の短篇集に『クイーンの定員』があります。この中に、『ダイヤのカフスボタン』が収められています。1897年に、グラント・アレンが発表した物語。
「どうやら第一級のダイヤモンドに相違なかった。」
これはある若い牧師が嵌めているカフ・リンクスのダイヤ。
ダイヤはなくても、ゴールドのカフ・リンクスはひとつ欲しいものですね。ミステリの懸賞が当たらないものでしょうか。