島尾敏雄は、小説家ですよね。小説家は作家で、作家はたいていのことをお題に選びます。たとえば自分自身の生身も。
自分の痛いところはずいぶんと書きにくいかと思うのですが、「私小説」とはそんなものであります。島尾敏雄の代表作、『死の棘』もまた「私小説」のひとつと言って良いでしょう。島尾敏雄は『死の棘』を長い時間かけて、少しづつ紡ぎだしています。
むかし、横浜に「島尾商店」というのがあって、島尾敏雄はこの店の生まれなのです。島尾敏雄のお父さんは、島尾四郎で、絹織物商を営んでいた。
島尾四郎は、福島、小高の出身。名前が示すように四男で、十五で小高を出て横浜へ。横浜で入ったのが、絹織物商で、ここで修業した後に独立したわけですね。
そんなこともあって、島尾敏雄は生前によく小高を訪ねたという。いや、島尾敏雄には生まれついての「旅人」の心を持っていたようです。
島尾敏雄の随筆に、『奥六郡の中の宮澤賢治』があります。これは島尾敏雄が花巻を旅した時の紀行文でもあります。
「それらの風景のどこを切りとっても、宮澤賢治の童話と詩のイメージが浸みわたっていた。」
そんな風に書いています。宮澤賢治の、未発表の詩に、『休息』があります。賢治にはいくつかの『休息』があって、紛らわしいのですが。
暑さ
白シャツ
草いきれ
そんな一節があります。賢治はいつかの夏の日、働き疲れて、草の上に大の字に横たわったことも一度や二度ではなかったでしょう。
暑さ
白シャツ
草いきれ
「白シャツ」。それはどんな白シャツだったのか。襟なしの、カラー・スタンドだけのシャツだったかも知れませんが。
白シャツ。一度、絹で仕立ててみたいものですが。