冷泉家とレッドフェルム

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冷泉家は日本を代表する名家ですよね。とにかく藤原定家の血を引くお家柄というのですから、名家以外の何者でもありません。
冷泉と書いて、「れいぜい」と訓む。まず、このあたりからして、雅びではありませんか。むかし京に 冷泉小路というのがありまして。ここにお住まいになっていたので、冷泉家。
冷泉家はもとより、昔の日本にはたくさんの名家があったものです。いうまでもなく、戦前の日本には。名家で誰もが想い浮かべるのが、皇族。天皇陛下のご親戚はみな皇族とされたものです。
たとえば、梨本宮家。この梨本宮家に嫁いだのが、伊都子さま。
伊都子さまは、明治十五年に、鍋島家の次女として、ロオマでお生まれになっています。伊太利亜の都でお生まれになったので、「伊都子」。
鍋島伊都子さまは、明治三十三年に、梨本宮守正にお嫁入り。で、梨本宮伊都子となったものであります。
梨本宮守正が巴里にご遊学されていたことがあって、明治四十二年に、伊都子さまは巴里へ。巴里に到着されたのは、三月四日と記録されています。巴里でのことは「御日記」に詳しく書かれています。明治四十二年三月四日の日記に。

「仕立屋はレッドフェルムがいきな上等の仕立屋で、コスチュームを誂へる。」

と、書いたいます。梨本宮伊都子さまはこの日、「レッドフェルム」で、お洋服を注文なさったのでありましょう。
「レッドフェルム」とは、なにか。おそらく「レドファーン」 R edf ern のことかと思われます。
英国人、ジョン・レドファーンが開いたので、その名前があります。当時は倫敦にも巴里にも店がありました。たしかにフランス風に訓めば、「レッドフェルム」にもなるのでしょう。
レッドファーンは男仕立を得意とした、女性向けのテイラーだった店。
今、日本で女性向けテイラーをはじめると、やがて洋服界の「名家」となるでありましょう。

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