プラウダとブルックス・ブラザーズ

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

プラウダは、ロシアの新聞ですよね。1912年5月5日の創刊。ただし旧暦では、4月22日のことなのですが。1922年からは、この「5月5日」が、新聞の日に定められています。
「プラウダ」を英語式に綴れば、Pr a vd a 。これはロシア語では「真理」の意味なんだそうですね。でも新聞が「真理」を貫くのはたいへんなことで、「プラウダ」は何度も弾圧にあっています。つまり「プラウダ」の歴史は弾圧の歴史でもあるのです。
でも、ロシア帝政が倒れた後はだんだん部数を伸ばして。1983年には、1,020万部を記録しています。当時の新聞としては、世界一の部数を誇ったものです。
「プラウダ」にしばしば寄稿した作家のひとりが、ヘミングウェイ。アーネスト・ヘミングウェイ。たとえば、1938年7月23日に、「プラウダ」から原稿依頼。「プラウダ」のオルギン記者から、電報で。
ヘミングウェイはたとえ他紙の依頼は断っても「プラウダ」には書くつもりだったみたいで。7月26日には、完成。「プラウダ」8月1日付に記事が掲載。それは、『人類はこの非道を許さない』と題されて。
ヘミングウェイの最初の結婚は、1921年9月3日のこと。北ミシガンの、「ホートン・ベイ教会」で。新婦の名前は、ハドリー。ハドリーはヘミングウェイに夢中で。「アーネストイック」の新語まで創っています
ヘミングウェイもハドリーに熱心で。1921年3月31日には、ハドリーの自宅を訪ねています。
その時、ヘミングウェイが着ていたのが、「ナンバー・ワン・サック・スーツ」。もちろん、ブルックス・ブラザーズ製でありました。「ナンバー・ワン・サック・スーツ」は、これぞ古典服ですよ、というブルックス・ブラザーズの誇りから生まれたスーツだったのです。
一日も早く、ブルックス・ブラザーズのスーツを着て、「プラウダ」を読むのが自然な日が来て欲しいものですが。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone