ダブリンとタビー

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ダブリンは、アイルランドの首都ですよね。とにかく国民の三分の一の人たちが、ダブリンに住んでいるというのですから、立派な首都でしょう。
ダブリンを代表する作家に、ジョイスがいるのは、言うまでもありません。ジェイムズ・ジョイス。
ジェイムズ・ジョイスは、1882年2月2日。ダブリンに生まれています。ジェイムズ・ジョイスが二十世紀を代表する、世界的な作家であるのは、今や常識になっています。
ちょうど「音速」があるように、「語域」があるのではないか。言葉が用いられる領域。ジョイスは「語域」を楽々と拡げることに成功した、数少ない作家なのですから。
ジョイスはたしかにダブリンに生まれた作家。でも、若くしてダブリンを出て、世界を放浪した人物でもあります。そうであるからなのでしょうか、ジョイスは終生、ダブリンを愛した男。異国に住みながら、ダブリンのことばかり書いた小説家。

「ダブリンを出て以来パリを別にすればどんな町に住んでも心休まることがなかったのに、この町の魅力を少しも再現しなかったのだ………………」。

ジョイスは、弟のスタニスロースの手紙の中に、そのように書いています。1906年9月25日付の手紙に。文中の、「この町」がダブリンを指しているのは、もちろんです。
ただ、「少しも再現しなかった」は、ジョイス自身の韜晦でしょうが。ジョイスは、ダブリンの魅力を語りすぎるほど、語っています。
1914年、ロンドンで出版されたのが、『ダブリナーズ』。ジョイスの代表作。『ダブリン市民』とも訳されているのですが。この中に。

「彼の母は、誕生日のお祝いに紫いろのタビネット織のチョッキをつくってくれたことがあったが、それにはいくつかの小狐の首が刺繍してあり、茶の繻子で裏打ちして、円い桑の実いろのボタンがついていた。」

ここでの「タビネット織」は、タビー t abby のことかと思われます。「タビー」は、波目模様をあらわした絹織物。1638年頃から使われている英語。
その昔、バグダットの、「アタビヤ」Att ab iy a で織られたので、その名前があります。「アタビヤ」の最初のAを、冠詞と思って、「タビヤ」となり、さらに「タビー」の名前になったものでしょう。
ふつう、私たちのいう「モアレ」にも近い。モアレのチョッキでダブリンを旅するのは、夢物語でありますが。

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