今は、人の姓にありますよね。たとえば、今 東光だとか。今 東光は作家であり、また瀬戸内寂聴を得度なさったお方でもあります。
今 東光の弟さんが、今日出海。一時期、文化庁長官でもあらせられたお方。
この今 日出海が戦後間もなく、フランスに旅したことがあります。ただ、「今」の名前はフランスでは具合が悪いので、「いま」と呼ぶことにしたという。フランスにいる時には、「いま 日出海」だったわけですね。
今の姓で忘れてならない人物に、今 和次郎がいます。私たちの大先達。考古学ならぬ「考現学」を提唱された学者であります。つまりはファッション考現学の先生でありました。
今 和次郎は、研究のために、ヨオロッパ諸国を巡っています。1930年3月のことです。
1930年2月23日。東京駅を出て、関西を経て、門司に。東京駅には今 和次郎を見送る人で、プラットフォームがあふれたという。
3月1日。門司港を「榛名丸」で発って。1931年の1月3日に、横濱港に着いています。その間、パリ、ロンドン、ベルリンなどを歴訪。巴里では「こん」だったのか「いま」だったのか。
「ここでは本場だからと云うので、洋服を一着と、オーバーを作らせました。三十六円ばかりの洋服と、六十円位のオーバーです。六十円でも百円 ( 日本では ) のものでしょう。私のものとしては上等すぎるようです。」
今 和次郎著『欧州紳士淑女以外』には、そのように書いています。
たぶんこれは、スーツだったのでしょう。今、客が、「私のものとしては上等すぎる」と感じてくれる洋服は少ないのかも知れませんが。
今 和次郎がお好きだったのが、コオデュロイ。
「先生は私の知る限りでは、渡欧の時以外は、中国風詰め襟のコール天服をまとうておられた。」
岡 茂雄著『本屋風情』の一節に、そのように出ています。文中、「先生」とあるのが、今 和次郎なのですが。
岡 茂雄は、今 和次郎を尊敬するあまり書店の制服に、コオデュロイの詰襟服を、採用したとも書いています。
今の時代には、スタンド・カラーの、コオデュロイ、新鮮かも知れませんね。