プログラムは、チラシのことですよね。チラシは、「散らし」で、なにかを報らせるために、紙に印刷して「散らした」。それで、チラシとなったものでしょう。
チラシの以前には、「引札」。記事や広告などを含めて、「引札」と言ったものです。幕末の引札は、それ以前の浮世絵の手法の木版ですから、今から思えば贅沢なものであります。とても「散らし」には、もったいないくらいのもの。
プログラムが出てくる小説に、『地唄』があります。1960年代に、有吉佐和子が発表した物語。
「無論今日のプログラムでは喜利に近く出演する予定で、従って日の高いうちに楽屋入りする筈もないのであったが……………………。」
これは、新橋演舞場が舞台になっています。菊澤寿久翁にふれての文章。
有吉佐和子は着物姿がよく似合った作家でもありました。有吉佐和子の初期の随筆集に、『ずいひつ』があります。1958年の刊行。
有吉佐和子は『ずいひつ』の後書に。
「私のは、ずいひつ。まだ随筆の域に達していません。」
そんな意味のことを書いています。有吉佐和子の場合、まさに能ある鷹は爪隠すの、良い例でしょうね。
有吉佐和子は『ずいひつ』のなかに。
「手間暇をかけて模様を描き染色した反物は、仕立てられると職人たちのオブセッション ( 執念 ) 匂い立ってくるようで、私はその深さがたまらなく懐かしい。」
と、書いています。もちろん着物についての話なのですが。しかし、事は洋服でもまったく同じことでしょう。
「職人の執念が匂う」なら、それは極上の洋服であります。
プログラムが出てくる小説に、『大川端』があります。大正元年に、小山内薫が発表した物語。
「正雄はプログラムを廣げて、そのお酌の名を求めた。」まあ、たいていの男はそんなことをしますよね。また、『大川端』には、こんな描写も。
「半ずぼんの下には派手な縞のある靴下を見せて、毒々しい飾りのある靴を穿いてゐる。」
これは「福井さん」の若い頃の姿。要するに、旅行のために、ノーフォーク・ジャケットを着ているのです。さて、足許は。
勝手な想像ですが、ブローグ。それも、キルティ・タンの付いたブローグではないでしょうか。
なにか好みのブローグで。小山内薫のプログラムを探しに行くとしましょうか。