伊達男は、ダンディのことでしょうね。洒落者のことであり、フォップのことであります。
伊達男は、「伊達者」とも。おそらく江戸以前の伊達藩となにか関係があるのでしょう。
伊達男が出てくる小説に、『唐人お吉』があります。『唐人お吉』は、昭和三年に、十一谷義三郎が発表した物語。
十一谷義三郎は、「じゅういちや ぎさぶろう」と訓んで、本名。明治三十年、神戸に生まれています。また、唐人お吉についてはモデルがあって、斎藤 きち。斎藤 きちは伊豆、下田の藝者だった女。その斎藤 きちの記録が発見されたので、十一谷義三郎が小説に。
つまり『唐人お吉』の時代背景は、幕末の下田になっています。この中に。
「どちらかと云へば、つゝましいうちに生地の肉體美を示すのがモダンだと、傍から伊達男が口を添えへる。」
もっとも、『唐人お吉』には、「伊達者」の言葉も出てくるのですが。たぶん幕末の時代にも、「伊達者」や「伊達男」の言葉は使われていたのでしょう。
伊達男が出てくる小説に、『従妹ベット』があります。バルザックの傑作であります。
「たとえハイカラな伊達男でも、どこにもけちをつけることができなかったにちがいなく、ただ難をいえば、この贅沢ぶりにはどうもブルジョワ的なところがあった。」
では、十九世紀はじめの「伊達男」はどんなふうであったのか。
「髪の毛や口ひげを染め、腰帯やコルセットまで着用するのに気がついた。」
これは、ユロ・デルヴィー男爵の様子。当時のダンディがコルセットを使うのは、ほぼ常識だったようです。また、『従妹ベット』には、こんな描写も。
「首まできちんとはめた金ボタンのついている紺の軍服、黒タフタのネクタイ………………」
タフタ t aff et a は、琥珀織のこと。今でもシルクによく見かけるものです。もちろん、今日のネクタイにもふさわしいものです。
さて、タフタのタイを結んで。私の場合、どこから見ても伊達男から、はるかに遠いのでありますが。