ニイチェとニット・ヴェスト

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ニイチェは、偉い哲学者ですよね。フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニイチェ。
ニイチェは、1844年10月15日。プロイセンの、ザクセン州に生まれています。今日の「サクソ二ー」の語源とも関係ある地名でもあり。
ニイチェのお父さんは、カール。お母さんは、フランチェスカ。どちらも牧師という家庭に生まれています。
ニイチェが小学生の頃。下校の途中、にわか雨が。友だちは皆、走って家に。ニイチェひとり、ゆっくり歩いて帰った。お母さんが言った。「どうして、駆けて帰って来なかったの?」 これに対する少年ニイチェの返事。
「だって学校の規則に、「静かに下校しなさい」と書いてあるんだもの。」
大人になってからのニイチェは、こんなことを言っています。

「最高の人間たちこそ、生存に苦悩すること最もはなはだしい。 ー しかし彼らには、それに耐える最大の抵抗力も備わっている。」

ニイチェを熟読した日本人のひとりに、夏目漱石がいます。漱石の代表作『吾輩は猫である』にも、ニイチェを登場させているくらいに。

「ニーチェは弱い男であつた。多病な人であつた。また孤独な書生であつた。」

『思ひ出す事など』の中に、そんなふうに書いています。
夏目漱石はまた、多くの手紙を遺していることでも、よく知られています。たとえば、明治三十九年二月十三日、火曜日の午前中に書いた手紙。森田米松宛の書簡。むろん、森田草平のことですが。

「君弱いことを云つてはいけない。僕も弱い男だが弱いなりに死ぬ迄やるのである。やりたくなくたつてやらねばならん。君も其の通りである。」

おそらくは森田草平の手紙に対しての、返事かと思われます。森田草平が漱石に、なにか弱きの愚痴を書いたのかも知れませんね。その弱いに対する漱石なりの答えがこれであったのでしょう。
夏目漱石の、大正三年頃の写真が遺っています。トゥイードのラウンジ・スーツを着用、堅い、立襟シャツに、黒の結び下のネクタイを結んで。上着の下には、白の、前開きのチョッキを重ねています。ニット・ヴェストでしょうか。
大正三年頃としては、なかなか新しい着こなすだったと、言えるでしょう。
さて、好みのニット・ヴェストで、ニイチェの本を探しに、行くとしましょうか。

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