シーボルトと刺繍

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シーボルトは、説明の必要がありませんよね。もちろん、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトのことであります。
この場合の「フォン」は、貴族であることを示す称号。事実、シーボルトはドイツの貴族でありました。1796年2月17日。今のバイエルン州に生まれています。
文政六年八月。日本の長崎に。オランダ人医師として。その時代の日本は、出島においてオランダ人しか受け入れられなかったので、「オランダ人」と称したのです。
シーボルトと仲良しだったのが、楠本 瀧。楠本 瀧との間の女の子が、楠本イネ。日本ではじめての西洋式の女医となったお方であります。
また、シーボルトは多くの日本の蘭学者とも交流があったようです。その中のひとりが、宇田川榕菴。宇田川榕菴は、江戸期の蘭学者。現在の、「温度」、「圧力」、「酸素」、「金属」………………。数多くの化学用語を日本語にした人物でもあります。
宇田川榕菴はもうひとつ、日本語を創っています。「珈琲」。珈琲は、宇田川榕菴が試行錯誤の末に考えた造語なのであります。これからは珈琲を飲む時には、一瞬、江戸時代に宇田川榕菴のご苦労があったことを想ってみましょうか。
シーボルトには、『江戸参府紀行』があります。1826年、長崎から江戸へ出て、徳川家斉にお目にかかって時の紀行文。その中に。

「彼は金モールのついた赤いビロードの服と金糸で刺繍したチョッキを着…………………。」

これは道中、下関で会った伊藤某の様子。伊藤某は上から下まで、西洋の服装だったのです。
文政六年二月二十四日の、ところに出ています。江戸期にも「蘭癖」と呼ばれて、密かに西洋服を着る日本人がいたのです。
シーボルトは実に貴重な記録を遺してくれています。

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