ロック座とロンジン

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ロック座は、浅草にある名所のひとつですよね。浅草の、六区にあるから、「ロック座」なんでしょう。
ロック座は、きれいなお嬢さんがレヴュウを観せてくれるところであります。
戦後間もなくの「ロック座」を偏愛したのが、永井荷風。永井荷風は一観客としてでなく、踊り子たちの楽屋の常連客だったのでです。

「ロック座はもとのオペラ館に似たるレヴューと劇とを見せるらしく木戸銭六拾円の札を出したり。」

永井荷風の、あまりに有名な『断腸亭日乗』、昭和二十三年一月九日のところに、そのように書いています。ここに「木戸銭」とあるのが、入場料であるのはいうまでもありません。他のレヴュウ館と較べて、高価でもあったらしい。
永井荷風はなにも「ロック座」の常連だっただけはなかったのですね。

「ロック座にて余の小説『踊り子』を脚色し昨日より上演の由聞きたればなり。」

昭和二十四年『断腸亭日乗』一月二十日のところに、こう書いています。つまり「ロック座」とは、原作者の関係でもあったのでしょう。
永井荷風ご自身は、断腸亭日乗の原稿を大切にしていたようです。「副本」をも作って。「副本」は、万一のために、予備を作っておくこと。複写なない時代ですから、荷風は自分で、もう一部、書き写しています。
荷風にとってそれほどの「日記」に、「ロック座」に通う自分を描いて。荷風はやはり大人物だったのでしょうね。

「過日依頼せりロンヂン製懐中時計を購ひ來らる。」

昭和二十二年『断腸亭日乗』二月十七日のところに、そう書いています。値段は、「四千五百円」。
その頃の物価。パンが一斤、三十円。バターが一斤百七十五円。そんな時代の「四千五百円」。ロンジンの懐中時計は、それほどに貴重だったものと思われます。
時には懐中時計で、荷風の初版本を探しに行くとしましょうか。

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