ネイティヴは、生まれのことですよね。たとえば、ネイティヴ・アメリカンだとか。もともとからアメリカに生まれていた人、ということなんでしょうね。
「ネイティヴ・アメリカン」が意味することは。今のアメリカ人はみんな寄せ集めの人、ということでもあります。
これもまったくの一例ですが。ニュウヨークに、ブルックリンという場所がありますね。これは、オランダの地名、「ブレーケレン」に因んでいます。「新ブレーケレン」なので、ブルックリン。そう解しても、大きな間違いではないでしょう。つまりは当時のオランダ人が拓いた町だったのです。
1913年二月27日に、ブルックリンに生まれたのが、アーウイン・ショオ。学校は、「ブルックリン・カレッジ」を出ています。アーウイン・ショオは、ネイティヴ・ブルックリンとも言えるかも知れません。
アーウイン・ショオの名作を多く翻訳したのが、常盤新平。
「それ故に、『夏服を着た女たち』を読み、アーウイン・ショーという作家を早くから知ったのを一翻訳家として幸福だったと思わないわけにはいかない。この小さな短編が私の一生を決めてしまったのである。」
常盤新平は、『ニューヨークは闇につつまれて』の「あとがき」に、そのように書いています。また、アーウイン・ショオがなければ、ニュウヨークに行くこともなかった、と。
作家冥利に尽きる話であり、また、翻訳者冥利に尽きる話でもあるでしょう。
アーウイン・ショオが1940年代に書いた短篇に、『ベルリンは闇のなかに』があります。訳はもちろん、常盤新平。この中に。
「あなたといっしょに行かないわ」とマキシンが言った」。「ネクタイを締めなければ」。
これは、マキシンが、ダッチャーに対しての科白。みんなでティファナに競馬を観に行こう、と。作家のダッチャーは、ポロ・シャツで行こうとする。それに対して、マキシンは言う。
「ネクタイを締めない男の人といっしょにいるところを見られないですむわ」
ダッチャーがネクタイを結ぶと決めた後で。
自分で結ぶ自分のネクタイは自分のものだと、たいていの男は思っている。でも、違うんです。人のためなんですね。
相手への、礼儀のために。最低限のエティケットとして、ネクタイがあるのです。