スープとストック

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スープは、汁物ですよね。日本に味噌汁があるように、西洋にはスープがあります。
味噌汁には箸を使うように、スープにはスプーンを使うことになっているようです。
では、スープにスプーンはいったいいつ頃からはじまっているのでしょうか。
古代ギリシアにも、今のスプーンらしきものはあったらしい。でも、それは化粧用だったと考えられています。
スプーンの凹みで顔料を溶いて、これで化粧を施した。
古代ロオマにも金のスプーンがなかったわけではないらしい。しかし多くのスープは、手づかみで。右手にパンを持って、そのパンをスープに浸して食べたから。
少なくともスプーンの歴史よりもスープの歴史のほうがはるかに古いようであります。
古いフランスの貴族であり富豪でもあった、モンテエニュは、スープをどんなふうにして食べたのか。あの『随想録』で知られる思想家のミッシェル・ド・モンテエニュ。
ミッシェル・ド・モンテエニュは、1533年2月28日に、モンテエニュ城に生まれています。ボルドオにあったシャトオで。
まあ、その意味では、「銀のスプーンを口にくわえて」生まれてきたお方でもあったのでしょう。どうして「銀のスプーン」なのか。銀は毒薬に反応すると考えられていたからでもありましょう。
モンテエニュは、1580年6月22日。モンテエニュ城を出発しています。イタリアに旅するために。もちろんイタリアだけではなくて。
まずフランス東部に出て、スイス、ドイツを経て、イタリアに入っています。むろん何人かの従者を従えての旅であったのですが。
ふたたび、モンテエニュ城に帰ったのが、1581年11月末のこと。その後間もなく、
モンテエニュはボルドオ市長となっています。つまりざっと一年半の行脚だったわけですね。
この折の旅の記録は、モンテエニュの『旅日記』に収められています。
モンテエニュはイタリアで食事の際に、スプーンが並べられていることに注目しています。が、モンテエニュはそれまでの習慣に従って、スプーンなしでスープを食べています。
つまり1580年頃のフランスではスプーンの使用が一般的ではなかったことが窺えるでしょう。
スープが出てくるミステリに、『死者を鞭打て』があります。1972年に、英国の作家、
ギャヴィン・ライアルが発表した物語。

「おれはスープ皿をおしのけて、ワインをつぎたした。」

ここでの「おれ」は、物語の主人公、ジェイムズ・カード。ボディガードという設定になっています。
場所は、ロンドンの「リッツ・ホテル」の食堂。飲んでいるのは、高級ライン産の白ワイン。
ジェイムズ・カードは、フランスのアラスからロンドンに帰ったばかり。
また、『死者を鞭打て』には、こんな描写も出てきます。

「彼らなら、スカーフを乗馬用のえりまきのようにきつく結んでいたはずだ。」

これは「ロイズ」の幹部、ウイリー・ウィンスローの着こなし。

「彼はカントリー・ジェントルマンの服装をしていた。」

そうも書いてあります。
なんでもない一行なんですが。ここは熟読を要するところ。

「えりもとにゆるく結んだ絹のスカーフを除けば……………………。」

そうも書いているのですが。
要するウイリーは、代々の家柄がおよろしい。つまりは貴族の出。ウイリーのおじいちゃんやひいおじいちゃんなら。もっとしっかり頸に巻いていただろうにと、ジェイムズは、
そしてギャヴィン・ライアルは思っていたのでしょう。
結論を申しますと。「ストック」 st o ck を指しているのですね。
ストックは、十九世紀、英國紳士が好んだ、頸にきっかりと巻くネックウェア。
今でも正式な乗馬大会にはよく見られるものです。
十六世紀、英國の日記作家、ジョン・イーヴリンの『日記』にも、「ストック」は出てきます。
「彼らはシャツの上にストックを巻いて、ダイヤモンドのピンでそれを留めていた。」

1645年6月の『日記』に、そのように出ています。
どなたかカントリー・ジェントルにも見えるような、ストックを作って頂けませんでしょうか。

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