羅針盤とラウンジ・スーツ

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羅針盤は、方位磁針器のことですよね。たいていの場所で、羅針盤を開くと、方位が分かることになっています。
北はどの方角なのか。南はどちらなのか。大航海時代の帆船にとっては、羅針盤は不可欠のものであったでしょう。
羅針盤以前には、星の位置から方角を推し測ったようですが。
羅針盤が出てくる随筆に、『疑問と空想』があります。昭和九年『科学知識』十月号に、
寺田寅彦が発表した文章。

「鳥は夜盲であり羅針盤をもっていないとすると、暗い谷間を飛行するのは非常に危険である。それにもかかわらずいつも十分な自信をもって自由に飛行して目的地に達するとすれば……………………。」

これは寺田寅彦が、七月に、信州の「星野温泉」に滞在した時の話。星野温泉で、
寺田寅彦は何度もホトトギスを見た。見たし、鳴声も聴いた。このホトトギスの鳴声も、
研究しているのですが。
さらに、どうしてホトトギスは自由に飛べるのかを、まさに「疑問と空想」で考えているのです。私などはホトトギスの飛行について、疑問にも空想にも届かない。これではとても科学者にはなれないのでしょう。
「疑問と空想」。
羅針盤から科学者になったお方に、アインシュタインがいます。『相対性理論』であまりに有名な、アルベルト・アインシュタインのことです。

「四歳か五歳のとき父から羅針盤を見せてもらった際、私はそのようなせいしtsの驚きを経験した。その針があのように定まった仕方で振る舞うということは日常に事柄にはけっして合致しないものであり……………………。」

アインシュタイン著『自伝ノート』には、そのように書いています。
寺田寅彦は、「疑問」と言い、アインシュタインは、「驚き」と言っておりますが。このふたつの言葉は基本的に同じものでありましょう。それはちょうど私が、ホトトギスの飛行にもなんら「疑問」を持たず、また、羅針盤の針の動きに「驚き」を感じないように。
アインシュタインが『特殊相対性理論』を発表したのは、1905年のこと。でも、学会ではほとんど反応がなかったのです。もちろんアインシュタインは、がっかり。
当時、アインシュタインの『特殊相対性理論』は、あまりにに難解だったので。そしてざっと120年後の今も、『特殊相対性理論』が難解であることに変りないのですが。
でも、たったひとりアインシュタインに注目した人物があったのです。
ベルリン大学の、マックス・プランクでありました。それでプランクは、アインシュタインをベルリン大学に招くことに。「アインシュタイン、ベルリン大学にぜひ………」。これに対するアインシュタインの答え。
「少し、考えさせてください。」

「もし返事がウイなら赤い花を襟に飾って、プランクさんにお会いしましょう。もし返事がノンなら白い花を挿しましょう。」

次に、プランクにチュウリッヒで会ったアインシュタインの胸には、赤い花があったのです。こうしてアインシュタインは、ベルリン大学の教壇に立つことになったのであります。
1905年に、アインシュタインは何を着ていたのか。「ラウンジ・スーツ」であります。
1905年の、大学教授が着る服装としてのラウンジ・スーツは、やや斬新なものでありました。ふつうならフロックかモーニングがふさわしいものであったでしょう。が、アインシュタインはラウンジ・スーツ姿だったのです。これは当時のアインシュタインの写真を見るかぎり、間違いないようです。
いや、1890年代の写真でさえ、アインシュタインはラウンジ・スーツを着ているのですから。
以来、晩年に至るまで、アインシュタインはラウンジ・スーツの愛用者だったわけですから、ざっと六十年の長きにわたってラウンジ・スーツを好んだことになります。
アインシュタインはウイング・カラーのシャツにタイを結ぶのが、お好きだったようです。
もちろん三つボタン 型、上二つ掛けの着こなしで。
どなたかクラッシックなラウンジ・スーツを仕立てて頂けませんでしょうか。
愛称は、「アインシュタイン」ですね。

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